意味が無い事を積み上げながら

 これから書くのは十中八九意味のない事だ。だから本当はここに書く必要もなければ、誰かに読まれる必要もない。では何故それを知っていながらあえてここに書くのかと言えば、そうでもしないと今日は『生き苦しくて』やりきれないからだ。

 自分がここでこうして、まあ色々とありながらも何とか息をしている事は、多分無駄なんだろうと思う。そういう気分は普段からあるけれど、仕事が忙しくて本を読む時間も取れない時とか、そうまでしてやっている仕事で成果が出ない時はこういうネガティブな考えが色濃くなって行く。

 まあ自分の場合、「自分の人生に意味とかあんのかなー」とか悩んでいていい時期はとっくに過ぎてしまっている。何せ三十路だし。人間三十路も過ぎれば自分の人生の意味くらい自分で作る位にならないとやっていられない。例えそれが限りなく捏造に近くても。
 とはいえ、そんなに簡単に事が運ぶなら自分だってこんなところでオチも何も無いグダグダな文章を書いている必要はない訳で、上手く行かないもんだなと思う。

 別に『それが真理』みたいな、確固たる『正解』や『回答』じゃなくてもいい。もっと曖昧なものでいいから、自分がやっている事にも意味があるんじゃないかと錯覚できる位の手応えが欲しいなと思う。それが贅沢な物言いだって事は知っているけれどね。皆それが欲しくて生きている訳だからさ。

 極論すれば、人間が欲している『生き甲斐』なんてそんなもんでいい。そんな、真理なんてご大層なものからは程遠い、その場その場を何とか取り繕う事が出来る程度、そこらに転がっている程度の理由で構わない。問題は自分自身がそれを信じられるかどうかで、誰かの助けを借りればどうにかなるとかいう問題ではないし、結局は何をどうしたって自分の問題にしかならない。最初に、十中八九意味がないと前置きしたのはそれが理由だ。こんな問題は自分の内面で処理すれば良い話で、こんな場所で語る程の価値はない。

 まあ、それでも自分がこんな事を書いているのは、時には意味が無くても大声で叫びたくなる様な気分に近いのだろう。もっとも、叫んだからといって誰かの耳にそれが届くという保証も無いのだけれど、それを知っていてなお叫ぶというのなら、それは無意識に自分自身に向けた叫びなのかもしれない。
 世の中でただ一人、自分の耳にだけ届けばいい叫び。そんな自作自演で自分を誤魔化しつつ、今日が終わり、日々は過ぎる。振り返ればそんな事の積み重ねで生きて来た様な気もするが、これで案外と何とかなるものだ。

 積み重ねる毎日は欺瞞でも、その事に気付いていても、何とかここまで来られた。ならばこれから先もそうやって行けばいい。取り敢えずそう信じようとする自分自身もまた欺瞞だらけだと知りつつ、今日はもう眠ろう。明日の自分が、今日の自分よりはマシである事に期待しつつ。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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