戦うという事の意味を問え・LINKIN PARK『A THOUSAND SUNS』

 スペシャル・エディションの方を発注したら、後になって通常版より発売日が遅い事に気付いて暫くおあずけを食らう羽目になった。
 で、やっと届いたこのアルバムを聴きながら思ったのは、やはり収録曲である『THE CATALYST』の良さであったり、アルバム全体のまとまりの良さについてだったりした。自分は熱心なファンじゃないので、以下に書く事は音楽通の方や彼等の熱烈なファンからすると『全くわかってない』事を言っている可能性もあるのだけれど、まあ自分は彼等に限らず音楽全般に明るい方じゃないので見逃してもらいたい。

 さて、『THE CATALYST』は現代戦を題材にしたFPS『Medal of Honor』に楽曲提供されているが、それにしてはこのアルバム全体のトーンは驚く程反戦的だ。そしてこのアルバムの中でもロバート・オッペンハイマーやマリオ・サヴィオ、キング牧師といった反戦反核や人権を訴えた人々の演説が効果的に引用されている。楽曲の素材として彼等の演説を引用するという事についての賛否はあるにせよ、その演説が何故このアルバムに収録され、『THE CATALYST』へと繋がる様に並んでいるのかを考える時、そこにはこのアルバムを貫くテーマが見えて来る気がする。

 日本に住んでいる自分達が戦争反対と言うのは、こう言っては何だが割と簡単だ。誰もそれに反対しない。しかし、アメリカに住んでいる彼等が戦争反対と言う事はそれ程容易い事ではない。アメリカは今現在もテロとの戦いを継続中であり、その戦いに兵士として家族を送り出している数多くの家庭があり、実際にテロによって傷付けられた人々がいるのだから。現に9.11直後はテロ戦争の開戦に対して慎重論を唱える事すら敵視の対象になった時期もあった訳で、そういう意味で自分達日本人が置かれている状況と、彼等のそれとは大きく異なる。

 ここで誤解が無い様に言っておかなければならないだろうが、彼等は何も闇雲に戦争を否定している訳ではない。それどころか過去にはメンバーが「国の為に自ら犠牲を払っている人達に対してお返しをする必要があると思う」とまで述べ、ツアーに兵士とその家族を無料招待した事もある。彼等は時として戦う事が必要である事も知っているし、その戦いに身を投じている人々を敬ってもいる。そんな彼等がこのアルバムを作ったという所に、今のアメリカが置かれている現実がある、と言ったら言い過ぎだろうか。

 泥沼化する対テロ戦争は兵士達とその家族を疲弊させている。いつ終わるともしれない戦いの中で数多くの兵士が命を落とし、数多くの家庭がかけがえの無い家族を遠い異国の地で失った。その現実を知る時、その悲しみを日本人の様に他人事として受け止めるのではなく、自分達の悲しみとして、また痛みとして受け止める時に、そこから自然に生まれるのは、日本人的な『戦争=業罪』という反戦意識ではなく、戦う事の意味と大義を問う為の反戦意識だろう。

 戦う事はいい。時として戦わなければならない相手がいる事は確かだ。しかし、もしも兵士達の命が為政者の誤った判断によって犠牲にされたり、誰かの個人的な利益の為に利用されたりする事実があるのなら、その事には異を唱えなければならない。そしてもしもそんな傷付いた兵士がいるのならば彼等に寄り添う者が必要になる。恐らく彼等はその事に気付いているし、それら犠牲の上に成り立つ平和を享受する立場である自分達というものに対して正面から向き合おうともしている。
 だからだろうか。このアルバムの最後を飾る『THE MESSENGER』という曲はどこまでもストレートに戦いに傷付いた者を肯定しようとする。

 彼等が反戦的な曲をリリースする事について、それを一種のポーズであるとか、格好つけとか穿った見方をする人もいるし、実際そうなのかもしれない。その事を否定しない。けれど、冷静になって考えてみた時に、日本人の様に戦争を遠い国の出来事として聞き流す事が出来ないアメリカという国で、ある意味での戦争当事者として彼等が訴える言葉には、それ相応の重みがあると自分は思う。

 戦う事の意味を問え。その犠牲の意味を問え。そしてその犠牲の上で平和を享受する自分達の存在を問え。
 考え過ぎかもしれないが、日本人である自分はこのアルバムをその様に受け止めた。

 

テーマ : 音楽
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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