安倍吉俊という存在『ユリイカ 安倍吉俊特集』

 

 この記事を、自分の長年の友人であり、大の安倍吉俊ファンでもある某氏に捧ぐ。(何じゃそりゃ)

 『ユリイカ』という月刊誌を初めて買った。もちろん特集記事の為に。自分にとって安倍吉俊氏とはその様な作家だ。これ以外にも、普段ならまず買わない様なジャンルのCDを、ジャケットが安倍氏の作品だというだけで買ったりした事もある。というか、今そのCDを引っ張り出してきて聴きながらこの文章を書いているのだけれど、これは封入されたブックレットにも安倍氏の絵が載っていて、ちょっとしたイラスト集としても結構良いものだと思う。

 若干話が逸れた。さて、絵についてどこがいいとか、どこが好きだとか、そんな事を言葉で説明するというのは無理があるし、野暮な話だなとも思う。そんなものはその絵を見た人が各々感じ取れば良いだけの話であって、どんな絵が受け手の心の琴線に触れるかなんていうものも各々の好みがあるだろう。そして一人の人間の心も、時と共に移り変わって行く……筈なのだが。

 時間が流れても変わらずに、何かこう自分の心の中に引っかかっている様な作品というものがある。それは絵でも小説でも、漫画でも映画でもそうだけれど、何か自分の中でそれを『過去のもの』にしてしまう事を許さないというか、忘れ去ってしまうという事が出来ないというか、とにかく『引っかかっている』としか言い様が無い作品というものがあるのだ。
 それを言葉で上手く表現する事は不可能だ。自分でも何が何だかわからない。確かなのは、例えば昔買った画集を今本棚から引っ張り出して来て眺めたとしても、そこにあるのは自分にとっての『過去』ではないという事だ。

 普通なら、例えば学校の卒業アルバムを開いた時の懐かしさというものは今の自分から相当距離があると思う。それは過去であり、今はもう過ぎ去ってしまった事であり、今の自分が過去に置いて来たものだ。有り体に言えば『既に終わった事』だと言える。しかし、自分の心に何らかの引っ掛かりを持っている作品はそうした過去にはなり得ない。今の自分との距離で言えば、相当近い場所にそれはあって、いつ見ても同じ様に心に爪痕を残す。

 そして安倍氏の描く女性は、時折『痛み』をもって自分の前に姿を現す。このユリイカの表紙に描かれた女性もそうだけれど、それは見た目の痛々しさという問題ではなくて、何かこう自分の中に存在する鍵穴に対応する鍵をねじ込まれる様な内面の痛みがある。それがどの様な理由で生じるのか説明する言葉を自分は持たないけれど、もしかするとその痛みをこそ自分は欲して、安倍氏の絵を見ているのかもしれない。そう思った。

 

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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