呆れる程に過ぎて行く日常の中で・BUMP OF CHICKEN『宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル』

 楽しいとか嬉しいとか、そういう感情は大切に取っておきたいと思っても、呆れる程の速さで過去のものになって行く。そのくせ、過去に置き去りにしてしまいたい様な苦い思い出はいつまでも記憶の中で尾を引いたりもして、その理不尽さがまた自分達を苛む。
 一体これはどういう事なのかと思うけれど、日常という名の川が流れているとすれば、自分達はその上に浮かぶ小船に乗っている様なもので、流れ過ぎて行く時に抗う術を持たない。確かな事は、過ぎた時間を取り戻す事は誰にも出来ないという事だ……なんていうただの事実を今更ここでこんな文章にしてみても何の慰めにもならないけれど、それがもし歌になるのなら、それはきっとこんな歌なのだろう。そして、そんな歌ならきっと人の心に慰めを与える事も出来るのだろうと思う。

“今もいつか過去になって 取り戻せなくなるから
 それが未来の 今のうちに ちゃんと取り戻しておきたいから”
 『宇宙飛行士への手紙』

 しかし考えてみれば自分達は、何か楽しい事とか大事な事とか忘れたくない様な事とか、そんな特別な時間よりも遥かに多くの時間を『日常』として無為に過ごしている。それが生活という事で、仕方ないとは知りつつも、ふと振り返った時にあまりにも多くの時間が過ぎ去ってしまっている事に気付いて愕然とする。

 ただ過ぎ去ってしまう毎日は、だからといって決して楽なものではない。仕事は大変だし、人間関係で嫌な思いをする事もある。上手く行かなくて躓く事も多いし、自分を曲げてまで相手に合わせたりする様な事を求められもする。そうまでして生きているのは何の為だっただろうなんて、自分の方向性や意味を見失いつつも、それでも凡人の毎日は続く。どうしようもなく続く。

“一生終わる事なんかない 今日は昨日の明日だったでしょう
 始まりを考えても意味が無い ありふれた答えしか出てこない”
 『モーターサイクル』

 そこで『誰かの不幸探し』をして、「もっと大変な人もいるんだから不平を言うな」とか、「生きたくても生きられない人に対して申し訳ないと思わないのか」とか言う事は出来るし、それは全く正しい。反論しようとも思わないし、しようと思っても出来やしないだろう。でも同時に、その『正しさ』が誰かを救う事なんてあるのかとも思う。
 正論で人を叩きのめして、自分の正しさを証明出来れば気分はいいだろう。甘えるなとか、しっかりしろとか、思い浮かぶ言葉はいくらでもある。

 確かに、他人の弱さを否定して、強くなれと促す事が必要な事もある。本人にとっても、これから生きて行く事を考えれば弱いままでいるよりは強くなった方がいい。もしも努力する事によって誰もがそうなれるのならば。けれどその正論は、今目の前で意気消沈してうなだれている誰かにとって、何の助けになるのか。

 多分今必要なのは、そんな『鼓舞に似せて時に人を叩く言葉』では無くて、この歌の様に凡人の日常を一度はそのままの姿で肯定してみせる様な歌なのかもしれない。
 「こんなただの慰めに意味があるのか」と誰かが言うだろう。そう思える貴方はきっと強い人だ。ただ自分の様な弱い者には、毎日を生きる為に前を向いて行かなければならないという、たったそれだけの事にすら時には慰めが必要だという、これはきっとそれだけの話だ。

 自分でも呆れる程の弱さを飲み込んで、日々は続く。少しは強くなれたのか、それともただ感受性が摩耗しただけなのか、そんな事すら定かではない中で。

 

テーマ : CD・DVD
ジャンル : 音楽

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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