どんなに悲しい事の後でも

 マイケル・ジャクソンが亡くなったそうだ。

 著名人が亡くなると必ずその周辺に影響を及ぼすもので、ファンの中にも相当動揺が広がったものと思う。日本でも著名人が亡くなると、そのファンの心の中にも何か大きなものが消え失せたかの様な喪失感が生まれ、深い悲しみや悲観的な気分が蔓延する。後追い自殺等の最悪のケースに至る場合もある。

 ただ自分の経験から言えば、その死と悲しみに力は無い。

 どんなに悲しい事の後でも、それによってどんなに打ちのめされ、生きて行く気力が奪われたとしても、世の中を呪おうとも、世界は全く動じる事無く続いて行く。今日は昨日になり、明日は来る。たとえどんなに偉大な人物が亡くなろうと、個人の死が世界に致命的な影響を及ぼす事は無いし、例えば今貴方にとって最愛の人の命が突然失われたとしても、残念ながら世界はそんな貴方の悲しみや喪失感など置き去りにして平然と続いていく。

 それは一見酷い事の様に思えるが、だからこそ人間は生きていられるし、これからも生きて行ける。

 今深い悲しみの中に沈んでいる人がいたとして、その人が悲しむ事そのものに意味が無く、無駄だとは言わない。ただ言いたいのは、貴方の悲しみには貴方自身や貴方が属する世界を壊してしまう程の力は無いという事だけだ。残念ながら。
 ならば逆説的に、どうやっても終わる事が無い世界に取り残された自分達は、そこから立ち直り、生きる事について考えるしかない。

 どんなに悲しい事の後でも生きていれば腹は減る。どんなに悲しい事の後でも生きていれば体は睡眠を必要とする。どんなに悲しい事の後でも心臓の鼓動や呼吸は勝手に続く。最初はそんな些細な事すらショックで辛いものだが、それも慣れる。人間はそういう風に、ある種薄情に、よく言えば頑強に出来ている。

 多分今日世界では多くの人が悲しむだろう。ただそれもやがて昨日になり、一ヶ月前になり、一年前になる。その時今日という日を振り返って、自分がその日からどう過ごして来たかを考えてみる。多分人の死が遺す事が出来るものっていうのはその程度の、誰かにとっての目印の様な、些細なものなんだろう。そう考えると、少し救われる。

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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