虚構で織り成された現実を・伊坂幸太郎『グラスホッパー』

 同じ世界観で展開する新作『マリアビートル』も出版された伊坂幸太郎氏の異色作。

 妻を殺された元教師の『鈴木』。『押し屋』と呼ばれる殺し屋。相手を自殺に追い込む自殺専門の殺し屋『鯨』。そしてナイフを使った殺しを得意とする『蝉』。各々の殺意と思惑が交錯する中で物語は進行する。
 殺しを依頼する者、実行者となる殺し屋、そして殺し屋に狙われる者。彼等はもちろん架空の人物だが、不思議なのは『もしかしたら彼等の様な存在は実在するのかもしれない』と読者に思わせるだけの説得力をこの作品が有している事だ。

 殺し屋達の群像劇という一見荒唐無稽な物語がここまで現実的に描かれる背景には、作者の緻密な描写もさることながら、虚構によって現実を描き出そうという作者の姿勢があるのではないかと思う。

 例えば元教師の鈴木は妻を殺される。彼女には何の落ち度も無かったにも関わらず、その命は一方的に奪われ、それによって鈴木の平穏な暮らしは破壊される。一方で妻の命を奪ったであろう男は罰せられる事も無く、のうのうと生き続けている。こんな事例は現実にもあるだろう。現実には正しい者がいつも救われるとは限らないし、全ての努力が報われるとも限らない。そして悪人が常に報いを受けるとも限らない。そんなある種の非情さがこの作品にはある。
 そして作中に登場する様な、非合法的な手段を用いて人を食い物にしながら利益を上げる企業や、不正献金を受け取った議員に責任を押し付けられた挙句自殺に追い込まれる秘書の様に、実際に自分がそれを目の当たりにした事は無くとも、何となくそれらが実在するだろう事に疑いを持たない様な存在が散りばめられる事で、作品全体の現実味は更に補強される。

 そんな、言ってみれば『虚構によって織り成された現実』の中で、登場人物達が何を選択し、どんな結末に辿り着くのか。読者が物語に引き込まれるのは、その物語の中に現実を生きる自分達に繋がる何かを見るからだろう。それさえあれば、虚構は現実としての血肉を持つ物語になり得る。そう、ジャック・クリスピンの様に。
 ジャック・クリスピン曰く『死んでいるみたいに生きていたくない』だ。いや全くその通りだなと自分も思う。

 何が現実で何が虚構なのか。何が本当で何が嘘なのか。極論すればそれらは、それを受け止める自分達の心ひとつなのだと言えない事もない。この信じられるものが少ない世界の中で、自分達が何を信じ、何を現実とし、何をよすがとして生きて行くのかという事。その事を本作は問うているのではないか。自分にはそう思えてならない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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