「君」という存在に向けて・スピッツ『とげまる』

 昔はよく聴いていたのに、最近では少し遠ざかっていた曲がある。スピッツの曲もその中の一つだった。昔からCDを買ってはいるのだけれど、最近では以前の様に何回も繰り返し聴くとか、そういう聴き方をしなくなっていたなと思う。
 この新作アルバムを聴きながらあらためてそんな事を思った訳だけれど、それは別に彼等の側の問題ではなくて、受け手である自分の中の問題だった様な気がする。

 自分の場合、明るく希望が持てる様な歌を聴く為には自分もそれを信じている状態でないと何となく乗れないし、自分との距離を感じてしまう。だから自分がスピッツの曲から遠ざかっていたというのは、彼等が歌う様な希望を信じる事が難しい精神状態だったという事になる。
 夢や希望を嘘臭いと感じる自分が求めているのは、やはりそのどうしようもない現実をそのまま受け止める様な曲だった。そこから前向きになろうとか希望を見出そうとか、頑張って生きて行こうという様な曲は自分にとって荷が重かった。早い話、さわやかに前向きにという感じの曲を聴くと、そうでない自分の現状が認識されて落ち着かないのだ。

 「それならいっそ聴かなければいい事なんじゃないのか」と言われるかもしれないが、それでも自分が彼等の曲を求めているのは、頭では否定しつつも心のどこかしらでは肯定的で前向きな価値観を持っていたいと願っているからなのだろう。世界は狂っていると感じつつもなおその中で生きて行く事を強いられながら。

“恋する凡人 試されてる 狂った星の上
 やり方なんて習ってない 自分で考える”

“そんなの凡人 思い込みで まともな星の上
 おかしくなっていたのはこちら 浮き輪も失った”
 『恋する凡人』

 自分がスピッツの曲で好きなのは、彼等の歌に繰り返し登場する『君』というフレーズだ。普通に考えればそれは好きな異性の事なのだろうけれど、スピッツの曲の中で『君』という時、それは単純に好意を寄せる異性の事ではなくて、正しさとか希望とか、そんなものを集めて形作られた、ある種の『良いもの』の事を言っている様な気もする。
 今はその存在を感じられなくても、信じられなくても、この世のどこかには必ずいる筈だという様な、そんな想像上の『君』に向けて、自分は何とか歩いているんじゃないかという気がしてくる。いつかそんなものに巡り合える時が来るのか、それは分からないとしても。

“だけど追いかける 君に届くまで
 慣れないフォームで走りつづけるよ
 霞む視界に目を凝らせ”
 『ビギナー』

 極力希望を持たない様に、現実だけを見据えて生きて行こうと考えた。そうしないと期待を裏切られた時の落差が辛過ぎると思った。高い所から落ちる苦しみと、地面に這い蹲る様にして生きる苦しみと、一体どちらがマシなものなのか天秤にかけた。その結果として得た今の暮らしの中で、止せばいいのに自分はまた気が付けば『君』を探していたりする。『君』が消えた後の世界で、それでもまだどこかに『君』がいる様な錯覚を信じながら何とかやって行こうとしている。『君』はそれを見て笑うだろうか。笑ってくれるだろうか。笑っていて欲しいと、僕は思う。

 

テーマ : スピッツ
ジャンル : 音楽

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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