公共化する個人という矛盾・大森望 編『ゼロ年代日本SFベスト集成<S> ぼくの、マシン』

 11月に入ってからというもの仕事が忙しく、ろくに本も読めない生活をしていた。考えてみれば本末転倒な話で、定職を得て働いているのは安定した収入を得てより良い生活をする為だった筈なのに、その仕事が自分の生活時間の大半を要求する様になると、それによって『生き苦しさ』を味わう羽目に陥る。では何の為に仕事をするのかという事になるのだが、それは「仕事を失うと収入が無くなる」という単純な理由以外にも「周囲に対する責任」というものがあるのだろう。
 自分の家庭があれば家族を養う責任があり、会社の中では一構成員として与えられた職務に関する責任があり、社会の中では有権者としての責任だったり納税者としての責任だったりと様々な責任がある。責任が生じるのはそこに自分と他者との関係性があるからで、自分にまつわる全ての関係性を捨ててしまわない限り責任もまた一生消えて無くなるという事はない。

 『個人』としての枠組みや価値観を維持する事と、他者と関係を持ち責任を果たして『公共的』な存在として生きる事は時として矛盾する。そのバランスを保つ事は難しいが、かといって両者を切り離してしまう事も出来ない。そこでは『自分』というものをどんなバランスで維持するのかが問われて行く事になる。本著の表題作である、神林長平『ぼくの、マシン』を読みながら、改めてそんな事を思った。

 さて、本著は『ゼロ年代日本SFベスト集成』という事で、以下の作品を収録している。

 野尻抱介『大風呂敷と蜘蛛の糸』
 小川一水『幸せになる箱庭』
 上遠野浩平『鉄仮面をめぐる論議』
 田中啓文『嘔吐した宇宙飛行士』
 菅浩江『五人姉妹』
 上田早夕里『魚舟・獣舟』
 桜庭一樹『A』
 飛浩隆『ラギッド・ガール』
 円城塔『Yedo』
 伊藤計劃原作・新間大悟『A.T.D Automatic Death』
 神林長平『ぼくの、マシン』

 この作家陣に興味をそそられたらぜひご一読を。基本的に本著はCDで言うところのベスト盤、或いはコンピレーションアルバムに近い構成なので、コアなSFファンからすると新鮮味の無いラインナップに思えるかもしれないが、それらをあえて一冊の文庫にまとめたところに編者である大森氏の狙いがあるのだろう。(正確には本著と対になる『<F> 逃げゆく物語の話』が存在するので二冊の文庫になるのだけれど、それはまた次回で)

 表題作である『ぼくの、マシン』は、言わずと知れた神林長平氏の代表作『戦闘妖精・雪風』の外伝的作品だ。シリーズの主人公である深井零大尉が軍医、エディス・フォス大尉に自らの幼少期について語るという内容なのだが、その中で描かれる『自分専用の機械』を求めた少年が『公共的価値観』というものといかに戦ったかという内容は、現代人の生活とも密接にリンクしている気がする。

 全ての情報端末が相互にリンクし、ネットワークを形成し、情報端末の群体が一つの巨大なシステムとして機能する様に設計された時代。そこでは完全に独立した『パーソナルコンピュータ』というものは存在し得ない。個人が所有する情報端末は一見パーソナルなものであるかの様に振舞うが、そのシステムは他者と共有されている。
 見知らぬ誰かが要求する情報処理に対して、自分の端末が自分の与り知らない所で仕事をしている。それを見た少年時代の零は“――これは、ぼくのもの、のはずなのに。”と違和感を持つ。今自分がこの文章を打ち込んでいる様なパソコンの在り方は消滅し、本当の意味で自分専用のマシンを持つ事が不可能となった時代。『個人』と『公共』というもののバランスが変化した社会で、個人は社会との、或いは世界との関係性を問われる事になる。

 自分という存在はどこまで『個人的』である事が許されるのか。そして『公共的』或いは『社会的』な責任を要求する社会の側は、個人という存在をどこまで公共的なリソースとして扱う事を許されるのか。本作を読み、忙殺されたここ一週間を振り返りながら、ふとそんな事を思った。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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