「せつなさ」という喪失証明・大森望 編『ゼロ年代日本SFベスト集成<F> 逃げゆく物語の話』

 本書と対になる『ゼロ年代日本SFベスト集成<S> ぼくの、マシン』についてはこちらに。そして本書に収録されている作品は下記の通り。

 恩田陸『夕飯は七時』
 三崎亜記『彼女の痕跡展』
 乙一『陽だまりの詩』
 古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』
 森岡浩之『光の王』
 山本弘『闇が落ちる前に、もう一度』
 冲方丁『マルドゥック・スクランブル“-200”』
 石黒達昌『冬至草』
 津原泰水『延長コード』
 北野勇作『第二箱舟荘の悲劇』
 小林泰三『予め決定されている明日』
 牧野修『逃げゆく物語の話』

 この作家陣に興味をそそられたらぜひご一読を……ってこの台詞は前回も書いたけれど、この本の様に一冊で色々な作家の作品に触れられるというのは本読みにとっても嬉しいものだと思う。別に自分は出版社の回し者ではないけれど。

 さて、本書を読んで自分が考えたのは『せつなさ』という事についてだった。
 人間生きていれば誰でも一度はせつない気持ちを味わった事があるだろう。ストレートに『誰かを好きになったけれど報われなかった』事でもいいし、もっと漠然としたものでもいいが、自分にとってその『せつなさ』というものは喪失と深く結び付いている。せつなさは、そこに失われてしまった大切な何かがあった事を知らせる為の痛みなのではないかという気がするのだ。

 事故や病で腕や脚を失った人の中には、失った筈の部位が痛むという、所謂『幻肢痛』の症状に悩まされる人がいると聞く。たとえとして妥当なのかどうかは分からないが、自分にとってのせつなさというものはそれに近い部分がある。心の中にある喪失の空洞から発する痛み。そこに喪失があるのだという事を伝えるかの様な痛み。それが自分にとってのせつなさという感覚だ。

 当たり前の話だが、この世界に失われないものなど何一つ存在しない。物質的なものはもちろん、今こうして文章を打っている自分の心すら時間の流れの中で失われる。永遠というものは存在しない。
 そんな、全てがいつか失われるもので構成された世界の中で自分達は生きている。もしかすると気付いていないだけで、自分達は日々何かを失って生きているのかもしれない。だからだろうか、せつなさという喪失証明を受け取る時、自分達は失われてしまったものを悼む。それをもう二度と取り戻す事が出来ないのだという事実に涙する。

 せつなさを感じさせる物語が人の心に響くのは、各々が既に抱えている様々な喪失にその物語が触れるからなのかもしれない。本書の収録作品にもそんなせつなさは随所に散りばめられている。
 例えば三崎亜記『彼女の痕跡展』では、主人公の『私』がいるはずのない恋人を失った喪失感に襲われる。乙一『陽だまりの詩』では創造主である男と被造物である女性の別れが描かれ、古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』では主人公が高校時代のクラスメイトとの思い出を意外な形で振り返る事になる。その他の作品の中にも様々な喪失が描かれ、それを読む読者の心にもまた様々な形のせつなさを感じさせる。

 物語がそうである様に、自分達が生きる現実も様々な喪失を抱いている。自分達がせつなさというものに触れてその喪失に気付く時、その喪失証明を受け取る時に、その空洞を抱えたままどんな道を歩んで行こうとするのか。数々の物語はきっとその事を問うているのだろう。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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