戦うべき悪を求めて・深見真『ヤングガン・カルナバル グッドバイ、ヤングガン』

 さて、個人的に多忙を極めた11月も半ばを過ぎた。毎日仕事をしながら、何で自分はこんな事になっているのかと考える。朝起きて会社に行き、疲れて帰って来て寝るだけという日々を積み重ねつつ。

 誰が悪いのかといえば、間違いなく自分も悪い。けれど、任される仕事ばかり増えて一向に上がる気配が無い給料とか、世の中の不景気とか、先行き不安なこの国の舵取りを任せるには頼りない政府とか、ろくな仕事も無いくせに天下って高給を取り、そのツケを国民に回す官僚とか、それを許しているこの国の構造とか、そういった事まで一切合切自分のせいかと考えれば、それら全ての責任を自分自身が負わなければならない理由もない気がする。

 『こんな日本に誰がした』という台詞を最初に言ったのが誰かは忘れたが、その問いに明確な答えが与えられるなんていう事は普通ならあり得ない。現実にはロールプレイングゲームのラスボスみたいな存在が全ての悪事を裏から操っているなんていう事は無いし、特定の誰かを倒せば世の中が今よりマシになるなんていう事も無い。そう、今の日本に不満があるからといって、内閣総理大臣を倒せばこの国が良くなるなんていう事が無い様に。
 そういう意味では、この現実は暗殺者が暮らし難い世の中だ。だからこそ彼等の活躍の場は虚構の物語の中という事になる。

 深見真氏が描く『ヤングガン・カルナバル』シリーズは、高校生の暗殺者、ヤングガン達が社会に巣食う巨悪と戦って行くという作品で、本作で完結となった。氏の作品の中では割とエンタメに振り切った作品だと思う。よく一部のハリウッド映画を指して『セックス・ドラッグ・バイオレンス』等と言ったりするが、ヤングガン・カルナバルの場合は『セックス・ガンアクション・バイオレンス』といった風情だ。特にセックスの部分に関しては、作中で登場人物の男女を問わず同性愛的な関係が描かれるシーンが多々ある為、そういったものが苦手な読者は注意が必要かもしれない。それが深見作品の特徴でもあるのだけれどね。

 さて、前述した通り、現実には特定の誰かを暗殺しても世の中は良くならない。深見氏もその事は理解しているし、作中でもその様に書かれている箇所はいくつもある。それでもなお氏がこの様な作品を書き、読者がそれを好んで読むのは、自分達が戦うべき敵の存在を求めているからだろう。

 現実の世の中は複雑で、倒すべき敵が見えない。誰の責任なんだと問おうにも、責任の所在さえ判然としない。ではそんな現実を生きる自分達のこの怒りは一体どこにぶつけたら良いのか。『悪いのは特定の誰かではなく、この社会全体の構造だ』と言えば聞こえはいいし、ある意味ではその通りだが、ではその社会構造に組み込まれて生きている自分達は、自分達を苦しめるシステムの構成員という事になるのだろうか。自分達もまた無意識に、或いは自覚的に、他の誰かを苦しめる側に立って生きているという事なのだろうか。そして、自分達はそんな仕組みに対して抗う術を持たないのだろうか。

 現実は『その通りだ』と言うだろう。だから読者はせめて虚構の中に倒すべき悪を求めようとする。そいつの身体にありったけの銃弾を叩き込んで抹殺する事を夢見る。その空想は野蛮かもしれない。許されるべきではないと思う人もいるだろう。けれどそうした、言ってしまえばチープな勧善懲悪の物語が廃れた事は無い。大衆が求める娯楽というものはそういうものだと自分は思う。自分達が潜在的に持っている願望。そのドロドロとした汚い部分を引き受けて、虚構の世界では高校生の殺し屋達が戦い、血を流す。そして自分達にはきっと一生倒す事が出来ないだろう『悪』に挑んで行く。

 その戦いの終幕を見届けて、自分はまた敵の見えない現実に向き直らなくてはならない。せめて自分が誰かにとっての悪になってしまわない様にと祈りつつ。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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