『アサシン クリード』

 テレビゲームとの出会いはファミコンだった。それこそ『スパルタンX』とか『スーパーマリオブラザーズ』とか、新しいゲームソフトを買ってもらう度に子供の集中力と体力の限界までそのゲームに挑んだ覚えがある。当時は『テレビゲームばっかりやってると馬鹿になる』が大人達の常套句だった。

 それがいつしか自分でゲーム機やゲームソフトを買う歳になり、やがてゲーム世代が大人になって、テレビゲーム自体の社会的認知度も上がった。政府はアニメや映画、ゲームといったコンテンツビジネスを日本の重要産業として認めたし、世間は老若男女問わず脳トレや漢検といったゲームで脳を鍛える時代になった。テレビゲームが子供を馬鹿にしてしまうと本気で言われていた時代からすれば考えられない事だ。

 その間のゲームの進歩は、もう魔法の域だと思う。

 だが、日本のゲーム業界は最近少し柔軟性を喪失し、硬化してきている気がする。シリーズものの続編や、過去のゲームの焼き直しは商業的に成功率がある程度読めるので、全く新しいゲームを開発するよりはリスクが少ない。それは判る。ただ、そればかりだと、『やる前から大体どんなゲームか想像が付く』ゲームばかりになってしまい、市場としては縮小再生産になって行ってしまう気がする。

 そこで、ユーザーとしては新味を求めて海外のゲームに手を出してみたりする。『アサシン クリード』もそんな中の一本。プレイヤーはアルタイルという名の一人の暗殺者(アサシン)として、12世紀末のエルサレム周辺を舞台に数々の暗殺任務をこなしながらその背後に潜む陰謀に迫って行く。ジャンルとしてはアクションゲームだ。

 最初に言ってしまうと、純粋なアクションゲームとしては難点も多い。
 まず暗殺対象がステージのボスとすると、そこに辿り着くまでに短いミッションを何回かこなす必要があるが、これは基本的にステージが先に進んでも同じ様な内容に終始するので、序盤のステージで一通りのミッションを体験してしまうと、後は同パターンのミッションを数こなすだけという、所謂『作業ゲー』になり易い。
 また、敵の攻撃パターンが単調で、かつ一対多の戦いでも『時代劇の殺陣』の様に、プレイヤーに襲い掛かってくる敵が常に一人なので、大勢の敵に囲まれようがピンチに陥る事がまず無い。ライフも自動回復するので、アクションゲームとしての難易度はそれ程でもない。
 ストーリーもラストの展開はちょっとどうなんだろうとも思う。

 ただ、そういったマイナス面がどうでもいい位に他の面が素晴らしい。
 まず、ステージの美しさがある。12世紀当時のエルサレム周辺を再現した各ステージは、ゲームをプレイしながら名所観光気分に浸れる。一般市民と雑踏の中を歩き回りながら周囲を見渡せば、気分も盛り上がる。
 更に、その街の中を自由自在に移動する事が出来る爽快感がある。歩く、走る、壁をよじ登る、ジャンプで屋根から屋根へと飛び移る等のアクションを簡単な操作で途切れる事無く行えるので、『見える場所にはほぼ全て行ける』位の自由度がある。プレイヤーが出来る事の幅が広い事は、いいゲームの条件だと思う。
 例えば門番を挑発して正面突破を試みるのもいいし、警備の手薄な裏手から壁をよじ登って目的地を目指してもいい。目的地から少し離れた場所で騒ぎを起こし、警備を他に誘導しておいて忍び込むという事も出来るし、神学者の中に紛れ込んで敵の目を欺く事も出来る。

 こうした『ゲームとしての発想の自由さ』『プレイヤーの操作性の自由さ』は、日本のゲームももっと取り入れたらいいんじゃないかと思う。例えばバイオハザードシリーズなんかはもうサバイバルホラーとか謎解きの要素が殆ど無くなってアクションゲームみたいになっているけれど、だったらもっとアクションに特化したゾンビゲーがあってもいい。いや、『LEFT 4 DEAD』位までバリバリのFPSにしろとか、『DEAD RISING』ばりのゾンビパラダイスゲー(もしくはフランク無双)にしろとは言わないけれど、バイオ5であれだけ映像が綺麗になったのに、倒した敵のチェーンソーを拾う程度の事が何故出来ないのか。この、『一見出来そうな事が実は出来ない』っていうのはじわじわとストレスが溜まる。

 一方、アサシン クリードは次回作も発表になった様だけれど、今度は15世紀のイタリア。これもまた楽しみだ。


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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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