宇宙飛行士になれなかった僕等は・BUMP OF CHICKEN『COSMONAUT』

 子供の頃に宇宙飛行士になる事を一度たりとも夢見た事が無い、なんていう男の子はいないんじゃないか。そんな事を思いながらこの『COSMONAUT』という名のアルバムを聴いていた。
 小さな子供だった頃、自分も宇宙に行く事を夢見ていた事がある。でも、30代の今その夢を叶える事が出来なかった自分は、この地球上にある日本という国の片隅で、時折月を見上げる程度の事しか出来ない。

 宇宙に飛び出すというのは物理的にも大変なエネルギーが必要で、ロケットだってスペースシャトルだってあらん限りの燃料を燃やし、自らの限界まで加速して地球の重力を振り切って行く。宇宙飛行士になれなかった数多くの少年達をロケットに例えるなら、彼等に足りなかったのは性能だったのか燃料だったのか。彼等は結局発射台から飛び立ったものの重力に捕まって落下したり、派手に空中爆発したりしたのだろう。それは確かに無念かもしれないが、けれどそこまで全力を尽くしたのならばまだ良い方で、自分などはその可能性を試す前に発射台から飛び出す事もしなかったのではないか。今振り返るとそんな風に思う。
 宇宙飛行士への憧れは発射台で朽ち果てたロケットの様に今もそこにあるが、そのロケットが今更宇宙を目指して飛び立てるかというと、そんな可能性は既に尽きているとしか思えない。

 他にも自分の中で朽ち果てて行った様々な夢がある。当たって砕け散ったものもあり、ただ風化して行ったものもあるが、それら他人から見ればゴミとしか言い様のないものを抱え込んだまま、よくもここまで来たものだ。いっそ捨てて身軽になれれば楽なのかもしれないなと思いつつも、逆に今自分を取り囲んでいるそんなガラクタが跡形も無く消え去ってしまって、何も無い殺風景な場所に一人取り残されるとしたらそれもまた辛いのではないかとも思う。未練がましいけれどね。

“君の夢がゴミと化して はや幾星霜
 捨ててこそゴミでしょうと勇ましく

 見るからにしぶとそうだ 不燃物だろう
 指定された火曜日 ほっと一息”
 『分別奮闘記』

 『ぶんべつ』と『ふんべつ』という言葉は、なるほどどちらも『分別』と書く訳で、ゴミの分別と大人の分別というものは似た様な側面があるのかもしれない。「じゃあ、自分の過去も夢もゴミの様に分別して捨ててしまおうか。それが大人の分別って奴だろう」と思うけれど、そんなに簡単に事が運ぶなら何の苦労もない。『分別奮闘記』もその例に漏れず、曲全体を聴くと苦笑してしまうような展開が待っている。思わず呟く。「お前は俺か」って。

 昔夢があった。それは確かな事だけれど、でも今ではそれがもう夢なのかゴミなのか自分には分別できない。世の中を生きて行く上で時にそれは重荷で、でも捨ててしまっていいものなのかといえば、そこまで思い切る事が出来ない。

 自分は宇宙飛行士になれなかった。それに限らず、ありとあらゆる『こうなりたかった自分』から遠い位置に立っている。どこまで行っても半端で救いがないし、そんな奴が誰かに必要とされるとも思えない。世の中からいつ「お前いらねーわ」と言われてもおかしくない、そんな凡人。人に誇れるものが思い浮かばない、そんな凡人。それが今の自分の立ち位置だ。


 でも、そんな奴でも息してるんだぜ。


 人生諦めてリタイアして、自分の命をゴミ箱に投げ込んで、ハイ終了って訳には行かなかった。本当はそうしても良かったのかもしれないな、なんて思いながら、自分の命一つを分別する事も出来ずに、未練がましく色々なガラクタを抱え込んだままここまで来た。開き直った訳でも吹っ切った訳でもない。相変わらず小さい事に悩んだままで。

 自分は宇宙飛行士になれなかった。これから先もそうだろう。他にも数々ある諦めた夢の残骸を捨てられないまま、それらに囲まれて生きて行く事になるのだろう。それって絶望的かい?
 『その通りだよ』って誰かが言うだろう。時には自分もそう言うだろう。でも不思議と、ここが終わりっていう感じはしないんだ。本当に不思議だけれど。何故だろうな。

 わからないまま時間は流れて行く。わからないままでも自分は生きて行く。
 宇宙飛行士には、なれないままで。

 

テーマ : 邦楽
ジャンル : 音楽

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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