仕組まれた生存競争の中で・土橋真二郎『生贄のジレンマ<下>』

 まず、上巻の感想はこちらに。中巻の感想は書いていなかったけれど、読んではいた。しかし、「やはり物語の結末となる下巻を読んでこそ」と思い、下巻を読んだら一気に書こうと思っていたら、時間が取れなくてこの有様ですよ。まあ仕方ないけれど。

 さて、上巻の感想にも書いた通り、この手の『デスゲーム』のキモは、『誰が、何の為に』という部分に凝縮される様に思う。ゲームの残忍さや過酷さ、登場人物の設定等は、そのゲームを物語として面白くする為の要素であり、読者の関心を引く為のフックなのであって、要点ではない。少なくとも自分はその様に思う。

 昔、『バトル・ロワイアル』という作品が世に出た時、その「中学生三年生の1クラスが隔離され、閉鎖環境で最後の一人になるまで殺し合いをさせられる」という設定が物議を醸した。中学校のクラスメートという濃密な人間関係を持った集団が、ゲームのルールによって解体され、互いに殺し合いをするまでに至る描写は確かにグロテスクだ。また作品が映画化された事で、そこに映像的なグロさやショッキングな部分が加わり、それが問題だという事で殊更に大きく取り上げられたりもした。しかし自分は、原作小説にしろ、映画にしろ、そのデスゲームを仕組んだ者の意図という観点から見た時に、あまりリアリティを感じる事が出来なかった。生存競争の中で本性が剥き出しとなった人間を描くという意味では成功した作品だろうと思うけれどね。とまあ、ここまではどうでもいい前置き。

 話を本作に戻すと、本作でもまた、高校三年生の一学年全てを対象としたデスゲームという構図がある。こちらは『生贄』が自発的に現れるか、さもなければ投票による選出を迫るという形から物語がスタートする分、人の生き死にに関わる描写はソフトだ。血が吹き出す様な描写は無く、恐らくは心臓麻痺等を引き起こすような薬物によるのだろうが、生贄に選出された者もゲームに敗れた者も皆眠る様に、或いはバッテリーが切れた機械の様に死んで行く。そして手を下す方もまた「ボタンを押す」等の間接的な手段で相手を葬る訳で、ある意味では「淡々としている」と言ってもいいかもしれない。しかし、そこに付きまとう『薄気味の悪さ』は、それがより自分達の日々の暮らしに近いからなのかもしれない。
 自分達が日常生活の中で誰かに敵意を持つ時、或いは悪意を向ける時、そこには銃や刃物といった直接的な凶器がある訳ではない。あるのはもっと形のない、それこそ何かのボタンを押す様な、間接的な敵意なり悪意の形だろう。そう考える時、本作が志向するのはそういったリアルなのかもしれないと思う。

 人間関係の中での『協調』と『裏切り』。或いは『利己的』であるか『利他的』であるか。そしてそういった様々な要素を内包する個人が集まって構成されるこの社会が持っている構造とは何か。それらを考える時、本作はそうした人間社会の内部構造をよく描いていると思う。そして、ゲームを仕組む側はその社会を、ある明確な意図を持って改変して行こうとしている。その思想こそが本作のキモではあるのだが、ここでそれを語る様な無粋は避けよう。
 ただ、自分からすればその思想には異を唱えたい。凡人を標榜する自分としてはね。このゲームを仕組む側が真っ先に社会から排除したいのは、恐らく自分の様な人間だろうから。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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