敵とは何か。自分とは何か・神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

 神林長平氏の『戦闘妖精・雪風』シリーズは『ジャム』と呼ばれる異星体と人類との戦いを描いた作品だ。南極に突如出現した超空間、<通路>から飛来し、地球侵攻を開始したジャムに対し、反撃に転じた人類は<通路>を抜けた先に未知の惑星フェアリィを発見する。まるで戦闘機の様な挙動で人類に攻撃を加えるジャムに対抗すべく、人類側は惑星フェアリィに超国家組織、フェアリィ空軍を創設し、以来30年の長きにわたって侵略者との戦争を続けていた。

 この作品で興味深いのは、『ジャム』と呼称される『敵』の正体が全く掴めない事だ。それは戦闘機の様に空中を飛び回り、人類側に攻撃を加えて来るが、彼等と人がコミュニケーションを取る手段が全く無いのだ。
 ジャムがどこから生まれ、なぜ人類に対する攻撃を加えて来るのか。ジャムの目的とは何か。ジャムには人間のそれと同じ様な知性や感情が存在するのか。そんな事すら分からない状態の中で人類はジャムとの戦争を続けて行く事になる訳だが、コミュニケーションが成立しない以上、そもそも人類側がジャムの「攻撃」や「侵攻」として受け止めている行為が、ジャム側から見た時にそんな意図は全く無いばかりか、むしろ全く違う意味を持った行為だったという可能性もある。更に言えば、ジャムが人類の存在をどの様に認識しているのか、そもそも認識出来ているのかという根本的な疑問もある。

 敵とは何か。戦うとは何か。

 『戦闘妖精・雪風』の中では、この問題が繰り返し問われる。しかし、正体不明の敵である『ジャム』と相対する時、人間は同時に自らに対する問いを抱かずにはいられない。

 自分とは何か。他者とは何か。

 戦闘とは形を変えたコミュニケーションでもある。その視点から言えば、本作は常にコミュニケーションと、そこから生じる関係性を描いた作品であるとも言える。人間とジャム。人間と人間。そして人間と機械知性体。それらが交わす言葉や互いの行動から生まれる関係性を描く事。そしてその中で生きる『人』を描く事が、本作のテーマの一つなのではないかと自分は思う。

 様々な形で他者に触れる事。その中で人は自らの有り様を再認識する事になる。
 相手に触れてみる事で相手の形が分かる。しかし同時にそれは相手に触れている自分の形というものを意識させられる行為でもある。言葉を用いた交流であれ、互いの行為を通じた皮膚感覚的な関わり合いであれ、そうしたコミュニケーションによって相手を知ろうとすれば、人はより強く自分というものの在り方を意識せざるを得ない。その哲学的とも取れる思索が、本作『アンブロークンアロー』の中にも随所に散りばめられている。

 敵とは何かと問う時、それは同時に自分とは何者かという問いでもある。

 そんな表裏一体の問いを抱えたまま戦う事。戦い続ける事。もしかするとそれを『生きる』と呼ぶのかもしれない。

 

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