自分がまだ生きているという事・BUMP OF CHICKEN『Smile』

 時折、自分が今こうして生きている事が全くの無駄じゃないのかと思う時がある。するとどこからか『その通りだよ』という声が聞こえて来る気がするのだけれど、よく聞いてみればそれは自分自身の声である様な気もする。

 震災があって、それでもまだ生きていられる事。その事の意味を、そして意義を、決して忘れてはならない。その事は誰に諭されるまでもなく『知って』いる。けれど、その重さを『受け止める』事が出来ているかどうかは難しい問題だと思う。少なくとも自分にとっては。

 朝、出勤前に洗面所の鏡に映った自分の顔を眺める。覇気の無い、生気の無い顔がそこにある。


 『こんな大人になりたくなかった』


 そんな言葉が聞こえた気がして苦笑する。鏡に映る歪んだ笑みは、どう見てもまともな笑顔ではない。そんな自分自身から目を逸らし、髭を剃る。そして俯いた視線の先にも水面に映った自分の顔がある事に気付いて、溜息交じりにT字剃刀を突き入れる。

 震災で何もかも奪われた人達がいる。大切な人を喪った人もいる。住む場所を、仕事を無くした人達もいる。自宅からそれ程離れていない公園の、かつて芝生だった場所にはいつの間にか砂利が敷き詰められて仮設住宅が建っていたが、そこで暮らす事を余儀なくされる人達からすれば、自分は本当に恵まれている。避難所で暮らす人達からすれば、毎日温かい食事を摂り、風呂に入り、布団で眠る事が出来る人間が何を弱気な事を言っているのかと嘲笑される事だろう。それは自分でも分かっている。誰に言われなくとも、自分自身が一番理解している。しかし、それでも感じるこの無力感は何なのだろう。

 自分が生きて来たこれまでと、自分が生きて行くこれから。そこにあるのだろう意味を、意義を、可能性を、そして自分自身で見付けるべき価値を『信じる』というたったそれだけの事。そんな事が酷く困難に思える。自分が今までどうやってそれらを信じていたのか思い出せない。まるで呼吸の仕方を忘れた様な息苦しさがそこにある。

 そんな時に、この曲を聴いた。

 CDの収益が義援金として寄付される事だとか、曲の成り立ちだとか、井上雄彦氏が描いた数々の笑顔についてだとか、色々と語る事は出来るのだろう。でも今の自分から伝えたい事はひとつだけだ。


 『この歌は、届いたよ』


 それを必要とした人間の所に。それを必要とした人間の心に。

 

テーマ : 邦楽
ジャンル : 音楽

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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