語り合う誰かがいるという事

 何だかもう長い間ここを放置してしまっている。何か書こうと思いつつもそれが出来ない状態で、ずるずると時間だけが過ぎてしまう様な毎日だ。仕事が多忙だとか色々と言い訳は可能なのだろうけれど、つまるところ自分は、自分がここに何かを書く事について、それに何の意味があるのだろうか、なんていうつまらない事を考えているらしい。
 震災後は特に自分の存在が卑小なものに感じられる様になり、何か行動を起こそうというモチベーションを維持する事が難しい。「どうせ自分ごときが何をやっても無駄なんじゃないのか」というネガティブな思考にはまっている状態だとは思うのだけれど、それを自覚しつつもそこから抜け出す事はやはり難しいものだ。

 自分の中からエネルギーが湧いてこない時は、やはり外側から何らかのエネルギーを注入しないと復活する事が難しい。だから本を読んだり音楽を聴いたりもしてみた訳だけれど、そこで以前の様にそれらの作品に対する自分の思いを出力してみようとすると、これが上手く行かない。自分自身が劣化したバッテリーの様になってしまった感じで、外部から受け取った筈のエネルギーを内側にためる事が出来なくなっている様に感じる。すると当然、出力もレベルが落ちて行く。これはちょっとリハビリが必要かもしれない。

 アメリカにとって『9.11』が特別な意味を持った様に、自分にとって『3.11』以前と以後とでは自分自身のものの考え方や受け止め方が大きく変わってしまった様に思う。当然全てが変わってしまった訳ではないのだけれど、その自分自身の変化というものに、自分の意識がまだ付いて行っていないという感じだ。まあこればっかりは、少しずつ感覚を取り戻して行くしかない。

 そんな中でも良い事というものはあって、この前の日曜日に大学時代の恩師と久し振りに会う機会を得て、震災の事も含めた様々な事について語り合う事が出来た。これは自分にとって特大のエネルギー充填でもあったし、自分の中に変わらず残っていた根の様なもの、人間としての『芯』の様なものを再確認する事が出来た。変わってしまったものもあれば、変わらず頑固に残っていた部分もあった訳だ。今はただその事を嬉しく思う。

 「自分の事は自分が一番よく知っている」という言葉はなるほどその通りだと思えるかもしれないけれど、誰かと語り合う事によって見えて来る自分自身の姿というものも確かにあるし、そこから広がって行く世界というものもある。だからこんな精神的に不安定な時期に会って語り合う事が出来る人がいるという事は、それだけで生きる力になる。こんな自分でもまだ生きて行けると思えるだけのパワーを注入してくれる。

 自分も出来れば他の誰かにとってそんな存在でいられたら良いのだけれどね。それは本当に難しい事なのだろうけれど。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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