敢えて青臭い音楽を聴くという行為・ONE OK ROCK『アンサイズニア』

 最近精神的にキツイので、少し砕けた文章で書いてみる。それと、何だか毎回繰り返し言っている様な気もするが、自分は音楽通でも何でもないのでその点ご了承頂きたい。

 さて、震災後、日々の暮らしを通して自分の中に蓄積して行く怒りというものがあって、それを上手く消化する事が出来ないでいる。それはただ純粋な怒りというものでもなくて、苛立ちや悲しみ等の様々な感情を内包した上での怒りなのだけれど、その怒りをぶつける対象の中には自分自身も含まれていたりして、精神的に苦しい。

 今30代前半の自分は既に大人として社会構造の中に組み込まれて生きている。だからこの社会のあり方を批判する事は天に唾する様なものだ。自分だけは汚れていないとか、自分には関係無いという訳には行かない。多くの若者にとってこの社会がクソだとするなら、自分はその腐った社会構造に依存して生きている体制側の人間という事になる。若者からすればそんな自分もこの社会と同様十分腐った人間に見える事だろう。事実その通りだと思う事もある。

 理想と現実とか、本音と建前とか、言い方はいくらでもあるけれど、社会の中で大人として扱われる様になると自分の意見や価値観を曲げなければやって行けない場面というものに出くわす事が多くなる。大多数の大人にとってそれは生きる上での前提で、その事をわきまえない若者を指して『青臭い』等と言う。
 しかし、大人が青年の主張を『青臭い』と思ってしまう時、そこには否定だけではなくて、彼等の想いの中にあるある種の正しさを無条件には肯定してやる事が出来ない自分自身に対する苛立ちがある様に思う。だからONE OK ROCKの楽曲を聞いた時に自分が毎回感じてしまう彼等の『青臭さ』は、言い換えれば自分の抱える矛盾に対する苛立ちなのだろう。

 自分がONE OK ROCKの曲を聴いたのはこの『アンサイズニア』が初めてで、その後既に出ていたアルバムを遡って聴いたりしたのだけれど、『内秘心書』や『じぶんROCK』等を聴くと、彼等の若さと自分との間に呆れるくらいの隔たりを感じる。『完全感覚Dreamer』まで行くともう振り切られてついて行けない状態だ。「十年一昔」なんて言うけれど、自分は彼等より丁度10歳程年上だから、全く同じ感性という訳には行かない。だから自分は彼等を『青臭い』と思うし、その事を間違いだとも思わない。

 では何故そんな彼等の『青臭い』曲を聴くのかと言えば、自分の中にもどこかこの社会の在り方に対して納得が行かない部分があるからだろう。

“死ぬ間際に悔いは無いと言えるように
 生きてたいだけ
 You stand here alive
 You know, the answer is inside of me”
 『アンサイズニア』

 『アンサイズニア』というのはまあ『answer is near』という事だろう。答えは近くにあるとか、自分自身の中にあるとか、そういう意味なんだろう。それを聞いて、自分の中のある部分は彼等に共感し、またある部分は「そんなに簡単じゃねーよ」と吐き捨てる。答えは自分自身の中にしか無い。そんな事は誰でも理解している。だがそれを貫き通して生きて行けるのかどうかは別問題だし、この社会では今日も誰かの想いが他の誰かの想いを踏み潰している。比喩ではなく。まあこんな事を書くと無理解で狭量な大人だと揶揄されるのだろうけれどね。自分では望んでそんなものになった覚えはないのだけれど。

 現実への苛立ち、自分への苛立ちは共に消えない。その苛立ちを、怒りを、自分は彼等の曲を聴く事で改めて噛み締めている。

 

テーマ : 邦楽
ジャンル : 音楽

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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