驕りが砕かれる時に ディーン・クーンツ『フランケンシュタイン 支配』

“本当はこの地球も 誰かが作ったニセモノで
 金魚のように水槽で 飼われてたとして
 たまにくる雷や各地を荒らす地震でさえ
 実は飼い主がイタズラで 遊んでるだけで”
 ONE OK ROCK『皆無』

 あらすじ的な内容は前巻『フランケンシュタイン 野望』について書いた時に概ね語ったので、今回は別の側面から本作について言及してみたい。
 本シリーズのテーマの一つには『創造主への反逆』があると思う。それは言うに及ばず自らの創造主であるヴィクター・フランケンシュタインと敵対する道を選んだ「フランケンシュタインの怪物」デュカリオンの事であるのだが、ヴィクターによって生み出された他の新人種達もまた、創造主の傲慢に対する無意識下での怒りと自らの境遇に対する絶望を抱えている。
 その怒りと絶望は時に旧人種への攻撃性となって現れたり、発作的な自傷行為として現れたりするのだが、本巻では遂に彼等新人種の中から生じる『第二の反逆』とでも呼ぶべき現象がヴィクターにも制御不能な程に大きなうねりとなって、彼の帝国を崩壊させて行く様が描かれる。

 神を気取る傲慢な創造主が、自らの被造物からの思わぬ『反逆』によってうろたえる姿は痛快だが、そこでふと現実を振り返れば、実際に自分が暮らす福島県での原発事故があり、正に原発からの『反逆』を受けた自分達の傲慢にも気付かされるという、愉快とは言えない構造がある事に気付く。となれば、ヴィクター・フランケンシュタインその人もまた自分達の鏡像と言えなくもない。そう考える事は不愉快なものだが、自分達の醜さや傲慢に気付かずに、或いは気付いていながら目を閉じ、耳を塞いで生きて来たこれまでのツケを支払う時が来たのだ、と言われれば返す言葉も無い。

 ヴィクターの傲慢、デュカリオンの怒り、自由意志無き新人種の悲哀。それらは全て空想から産まれたものだ。しかしそれらの根は現実を生きる自分達に繋がっているし、自分達の心の中に確かに存在する暗部でもある。その、普段自分達が目を背けている暗部を抽出し極大化させたものが傲岸不遜なヴィクターの姿なのだとすれば、彼に対して多くの読者が感じるであろう嫌悪感は同属嫌悪なのだとも言える。全く救いがない話だが。

 実際に自分達もまた、ある種の驕りを持って生きて来たのだろう。そうした考えに至る事は苦しいが、敢えてヴィクターの側に感情移入してこの物語を読んでみる時に、彼がある意味では『本当に人間らしい』心を持っているのだと実感出来る。そしてまた逆の立場であるデュカリオンや新人種達の側に感情移入してこの物語を読むならば、自分達が震災後、日々の暮らしの中で抱えているやるせなさ、憤り、悲しみといった感情の行き場の無さにも気付かされる事になる。

 自分達が被害者であると同時に加害者でもあるという事。その表裏一体の苦しみを、本作は鋭く抉る。ヴィクターの驕り、そして自分達の驕りが砕かれようとする時に、読者である自分達は何を思うのだろうか。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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