人間の業が世界を焼く時 パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』

 

 ろくに本を読む時間も無いのに、上下巻の長編SFに手を出すとどうなるかといえば、この通りブログの更新もままならない状態に陥るわけだ。まあ自業自得だが。という訳で、SF小説界の各賞を総なめにした事で知られるパオロ・バチガルピ氏の長編小説『ねじまき少女』について。

 前にも書いたと思うけれど、自分はこれから読む小説が何の賞を受賞したか等という事については特に関心がない。自分にとって作品と読者の関係とは常に一対一のものであって、他者の評価がその間に挟まるという事はあり得ないからだ。日本でも直木賞や芥川賞を受賞した作品が書店の一角に平積みされ、多くの読者が受賞作を買い求めるという光景がある訳だが、それが自分の嗜好に合う作品かどうかとなればまた別問題だろう。まあ単純に自分の好みが世間一般からずれているだけかもしれないが。

 さて、上では文学賞に否定的な事を書いておいて何だが、権威ある文学賞を受賞するという事は評価を受けるだけの何かをその作品が持っているという事でもある訳で、この『ねじまき少女』も斬新な世界観を持っている。
 場所は近未来のタイ。遺伝子操作の弊害として発生した伝染病が世界規模で蔓延し、病気に耐性を持つ遺伝子組み換え作物しか栽培できなくなった世界では、『カロリー企業』と呼ばれる少数のバイオ企業が利権を独占している。その中で『遺伝子リッパー』と呼ばれる科学者達は神の如く遺伝子を切り刻み、繋ぎ合わせ、様々な動植物や『ねじまき』と呼ばれる新人類さえも生み出す。しかしその一方では石油が枯渇し、電力や動力の供給はメゴドントと呼ばれる象に似た生物に頼るか、石炭やメタンガスを燃やすか、或いは改良型のゼンマイや人力に頼らざるを得ない等、文明の後退も一部で起こっている。このチグハグな世界観の中で繰り広げられるドラマが本作の骨子となる。

 石油が枯渇した世界という設定から、福島に住んでいる自分は「一大原子力発電時代の到来」などという悪夢が現実になっているのかと思ったのだが、不思議な事に原子力発電に関しては作中で全く触れられていない。既に失われた技術になってしまっているのかもしれないし、大規模な原発事故が相次ぐ等して捨てられたのかもしれないが、それにしても原子力、太陽光、水力、風力、地熱といった発電方法の一切がゼンマイ駆動等に取って代わられた世界というのは異様だ。石炭による火力発電は一部で行われている様だが、何せ銃ですらゼンマイを巻き上げなければ撃てない有様なのだから市民生活などは推して知るべしだ。

 自分が本作を読んで最も恐れるのは、カロリー企業や遺伝子リッパー達がこの世界の状況を憂うどころか、まるで楽しんでいるかの様に描かれている所だ。利権を奪い合う企業間の競争は現実にも起こっているが、遺伝子リッパー達が自然を相手に繰り広げる戦いはまるでゲームの様で、その手によって切り刻まれる自然の生命、或いは遺伝子に対する畏敬などかけらもない。その結果として世界を襲った伝染病や、遺伝子操作された動植物による生態系の破壊ですら、彼等にとっては自分達の知性を試す為の試験問題に過ぎず、その中で失われて行く人命など塵程の重みもない。彼等の様な存在に噛み付きたくなるのが自分が犬を名乗り、凡人を看板に掲げる所以でもあるのかもしれない。

 蛇足になるが、自分の親戚に仕事の関係で度々タイへ出張する人がいるのだけれど、彼曰く、タイの人達は皆本当に信心深く、工場で事故や不都合が相次ぐと、それを霊のせいだと言って実際に僧侶を呼んで祈祷やお祓いをするのだそうだ。本作でもその様なシーンが登場するのだけれど、そんな現実のタイとも通じる世界観の中で、業(カルマ)やダルマといった言葉が用いられる一方、世界には遺伝子操作された動植物が溢れ、人々がそれに頼って生きているという矛盾もまた描かれる事になる。その皮肉もまた本作の味わいのひとつなのかもしれないが、それにしても壊れた世界観だ。

 本作で描かれる世界は既に壊れていて、どこに救いを見出せば良いのか定かではない。それを読む事で自分達が何を受け止め、どの様に現実を生きるのか。その答えはまだ見えないが、少なくとも科学が人間にもたらすものが恩恵だけではないのだという事は心に留めておこうと思う。まあそれはこの地で生活していて日々実感している事でもあるけれどね。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon