種も仕掛けもある世界の中で・上遠野浩平『アウトギャップの無限試算』

 “この文章を読んだ者の、生命と同等の価値のあるものを盗む”

 この様な言葉が書かれた予告状と共に現れる正体不明の怪盗、ペイパーカット。彼に生命と同等の価値のあるもの=キャビネッセンスを盗まれる時、被害者はその生命をも失う。彼は怪盗なのか、それとも連続殺人犯なのか――

 『ソウルドロップの幽体研究』から始まった本シリーズの最新作『アウトギャップの無限試算』が刊行された。自分はこのシリーズを読むと、毎回『自分自身のキャビネッセンスとは何か』という事を考えてしまうのだけれど、容易に答えは出ない。家族は別としてね。
 キャビネッセンスは人によって異なる。ある人にとっては家族であり、ある人にとっては恋人であり、またある人にとっては思い出の品かもしれない。金銭的価値や希少性の有無にとらわれない、各々が心に抱いている価値観に則った『生命と同等の価値』を持つもの。それは時にはたった一つの飴玉という事すらあり得るのだ。そしてそれを奪われる時、人は死に至る。何だかとても暗喩的な話だ。

 自分は何の為に生きているのか、何を目指して生きているのか、自分に生きている意味や価値が本当にあるのかといった問題は、考えれば考える程深みにはまって行く様なもので、その問いに明確な答えがもたらされる事など多分一生無いのだろう。しかし生きている限り、自分では気付かなくとも人は皆キャビネッセンスを持っているのだと怪盗は言う。ともすればキャビネッセンスとは、自分の生命に意味を与えているものを指すのかもしれない。それを失ったらもう生きては行けない、生きている事に対する正当性が無くなってしまうという様な。或いは生命という奇跡が続いて行く為に必要な魔法が解けてしまうという様な。

 自分にとってのキャビネッセンスとは何なのだろう。

 さて、話をシリーズ全体から本作に戻す。本作『アウトギャップの無限試算』では、あるマジシャンの存在が物語の中心を占めるのだが、マジックに関して自分はあまり良い観客ではない気がしている。
 当たり前の事だが、マジックには種も仕掛けもある。小さい頃はそれをただ不思議なもの、面白いものとして観る事が出来ていた筈なのだが、自分は大人になる過程でどうもそういった素直な感受性を失ってしまったらしく、最近はマジックを観ても「まあ、どうせ何かのトリックがあるんだからさ」とか「ああ、この人はきっと観客にトリックがバレない様に物凄く練習をしているのだな。立派だな」といった、穿った見方をする事が普通になってしまった。自分でも何だかなーと思うのだけれどね。まあこうなってしまったものは仕方がない。今更自分の性格を直す事は出来そうもないし。

 世の中に奇跡というものは無くて、奇跡の様に見える事にも実は種や仕掛けがあるのだという事。それはマジックに限らず、何事もそうである様な気がする。物事には裏があるし、人には隠している本音がある。一度その事に気付いた以上は、もうそれを知らなかった事にして生きて行く事は出来ない。
 そう考えてみると、多分今の世の中を生きて行く上で必要な事は、種も仕掛けもあるという事を知りつつ、それでも純粋にマジックがもたらす不思議を楽しむ事が出来るかどうかという事に似ているのではないかと思う。何事にも裏がある世界で、それを知らない振りをして自分を騙すのではなく、裏側がある事を前提としながら、それでもなお前向きに生きるという事。まあ言う程簡単な事ではないのだけれど、それでもその中にしか希望はない様にも思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon