この世界に楽園は見えなくても・河野裕『サクラダリセット5』

 少し前から新しい本に食指が動かない様になっていて、一度読んだ本を読み返す様な事をしている。それでも新しい発見が無い訳ではなくて、むしろ自分の考えや物事の受け止め方が震災前後で大きく変化してしまっている事に気付く事が多い。そういった意味で3.11と9.11は似ている。それまで自分達が信じていた価値観や前提が覆される様な大きな出来事が起こる時、人は普段自分達が信じている『確固たる自分像』なるものが、如何に脆く崩れ易いものの寄せ集めで構築されていたかを知る事になる。
 変わってしまったものと、変わらなかったもの。それは様々だが、かつて自分が好きだったものを嫌いになってしまったり、また信じられなくなってしまう事は悲しい。仮に今の自分にとってそれが本当に価値を失ってしまったのだとしてもだ。例えるならそれは子どもの頃に大切にしていた玩具を大人になってから見付けた時に、大人の自分にとってはそれがガラクタにしか思えなくなっている事に気付く瞬間の様な悲しさだと思う。
 だからだろう。自分は、震災後もこの物語を好きでいられた事に安堵している。

 『リセット』

 きっと震災後、多くの人がそれを望んだだろう。悲しい出来事を無かった事にしようとして。救われなかったものを救いたいと願って。でもこの世界に神様はいないのか、いたとしても余程狭量な神様だからなのか、その願いが叶えられる事は無かった。大勢の人々の願いは聞き届けられる事が無いままで、悲しみや苦しみは消えないままで、当然の様に時間は過ぎて行く。それが現実というものだ。

 一方で、この物語には『楽園』が登場する。望めば大概の事は叶えられる世界。それは『ワンハンド・エデン』とも呼ばれる夢の中の世界だ。その世界には神様がいて、あらゆる願いを叶えてくれる。例えばその世界では重病患者から全身の痛みを取り除く事も出来るし、足が動かなくなった患者を走り回れる様にする事も出来る。現実の世界で眠り、夢の中にあるもう一つの世界を訪れさえすれば、そこには全ての願いが叶う楽園がある。
 夢の中の世界がもたらす幸福は偽りの幸福だと人は言う。それは夢であり、まやかしであり、片手で作れてしまう偽物の楽園なのだと。しかし、その偽物の楽園でしか救う事が出来ない人々がいる時、彼等が求める幸福を偽物だと断じる権利を誰が持っているのだろうか。
 誰も救わない本当の神様と、歪な形であれ誰かを救おうとする偽物の神様がいたとして、無力な自分達はそのどちらを求めるのだろう。そして、それよりも大事な、もう一つの疑問がある。

 誰かの願いを叶え続ける孤独な神様の願いは、一体誰が聞き届けるのだろう。

 この現実の世界で、自分は神様に会った事はない。その存在を信じた事もかつてはあったのかもしれないが、今同じ様にそれを信じる事はとても難しい。けれどこの物語の中で、偽物の楽園の神様として振る舞う少女の姿を見る時、そこには複雑な心境がある。

 夢の世界を求めるのは過酷な現実から自分を守る為で
 夢の中で誰かの願いを叶えようとするのは自分の孤独を埋める為で
 本当は自分が一番救いを求めていた筈なのに、気が付けば頼られるばかりで

 そんな神様が創り上げた、たった一人きりの楽園。そしてそれを押し包む様に存在している狭量な世界。その構造が、今自分達が生きている現実とも重なる。
 現実は過酷で容赦がない。現実は理不尽で耐え難い。それでも『此処ではない何処か』を持たない自分達は、決して楽園ではないこの世界の中で生きて行くしかない。ではその中で、自分達は何を救いとして見出して行けば良いのだろう。その答えの一端が、この物語の中には存在する。
 それは酷く単純で、だからこそ難しい。作中で引用されるメーテルリンクの『青い鳥』の物語の様に、それはきっと存在に気付く事が難しい青い鳥なのだろうと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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