異端者達に祝福を・西尾維新『少女不十分』

 

“悪いがこの本に粗筋なんてない。これは小説ではないからだ。だから起承転結やサプライズ、気の利いた落ちを求められても、きっとその期待には応えられない。これは昔の話であり、過去の話であり、終わった話だ。記憶もあやふやな10年前の話であり、どんな未来にも繋がっていない。いずれにしても娯楽としてはお勧めできないわけだが、ただしそれでも、ひとつだけ言えることがある。僕はこの本を書くのに、10年かかった。”

 西尾維新氏の最新作『少女不十分』の裏表紙には、こんな文章が綴られている。そして本作について語る上で、これ以上に適切な表現も恐らくは存在しないだろう。だから自分が以下に書く事は、ある意味で全くの蛇足だ。

 さて、『粗筋なんてない』物語の粗筋を書く事ほど野暮な事も無いだろうから、ここでは本作の粗筋について触れる事はしない。ただ、一言で言い表すならば、これは異端者達へ贈る人間賛歌の物語だ。
 本作に登場する少女も、彼女と出会う事になる作家志望の大学生も、その質は異なるとしても同様にこの社会の中では異端者として扱われる存在だろうと思う。そしてそういう人間が生きて行く上で、この社会というものは決して優しい場所ではない。しかし、それでもなお生きて行かなければならない世界で、彼等に贈る言葉があるとするなら、それはきっとこんな物語になるのだろう。

 自分はこのブログのタイトルにある通り凡人である事を自認しているし、それは間違っていないと断言するが、その一方で周囲の人間に馴染む事を不得手としている部分もある。『普通』や『常識』という言葉は実に厄介で、その言葉が指し示す範囲も絶えず変化しているが、他の大多数の人々がほぼ無条件に受け入れている価値観が受け入れられなかったり、何か自分が周囲から浮いているのではないかと感じる事はままある。しかしながら、社会生活を営む上では多少無理矢理にでも周囲と歩調を合わせなければ生きて行けない事も事実なので、自分の様な人間は時に周囲との摩擦を感じながらも、各々何とか最低限の折り合いを付けて生きている訳だ。それは楽な事ではないが、その程度の事で済んでいるだけまだマシだとも言える。

 ただ、世の中には本当の意味で『異端者』とでも言うしかない様な、『普通の人生』のレール上から大きく外れてしまった人も存在する。そして一般的な意味での『人間賛歌』の物語には、彼等の居場所がない。

 人は素晴らしい。世界は美しい。人生には価値がある。そんな物語は世界に溢れている。友情や愛情に満ち溢れた物語。正しい者が報われ、悪しき者は必ず報いを受ける物語。努力する者が最後には必ず成功する物語。どれも素晴らしい物語だ。でもそれらの物語の中で報われる権利を、異端者である彼等は持たない。もしも物語の作者が、彼等異端者をも救おうとする時、それは普通の物語では駄目なのだ、きっと。

 決して正しくはない者達が、正しくないままで、それでも生きているとして、生きて行くとして、生きて行かなければならないとして、そんな彼等にささやかな祝福が与えられるとするならば、それはきっとこんな風に屈折した者達に向けて綴られる、彼等と同じ様に屈折した人間賛歌なのだろう。そして考えてみれば、何の事はない。自分達だって彼等異端者と同じ様に、決して正しくはない。色々な事を間違えながら、引きずりながら生きている。だからこれは彼等の物語であると同時に、自分達の物語でもあるのだろう。間違えたままでも、正しくないままでも、まだ生きて行ける筈だと信じる為に。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon