或いは作家という病・上遠野浩平『恥知らずのパープルヘイズ』

“これは、一歩を踏み出すことができない者たちの物語である。
 将来になんの展望もなく、想い出に安らぎもない。過去にも未来にも行けず、現在に宙ぶらりんにされている者たちが足掻いている――そのことについての奇譚である。”

 『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画がある……等といちいち前置きをしなくても、恐らく誰もがこの荒木飛呂彦氏の代表作を知っているだろう。本作『恥知らずのパープルヘイズ』は『ジョジョの奇妙な冒険』の第5部完結から半年後を描いた、言ってみれば「プロ作家の手による二次創作」作品だと言える。

 二次創作というものには様々な形があり、様々な言い方があるだろうと思うが、リスペクトとか、コラボレーションとか、ファンアートとか、その言い方が変わっても同じなのは、それがあくまでも他人が創作した世界観や登場人物達を借りて展開されるという事だ。だからだろう。大抵の二次創作作品はどこか借り物を扱いかねる様な雰囲気を持っていたりして、時々引っ掛かりを感じる事がある。
 またそれとは対照的に、二次創作を行う作家の手によって原作の雰囲気が破片も残らない程ストーリーや世界観の改変が行われてしまう様な例もあるだろうが、それにしても大元になった作品の存在があるからこそ、そこからの逸脱具合を売りに出来る訳で、どちらも原作という『前提』を踏まえた作品である事に変わりはない。

 そこで、あらためて本作についてだが、一読してみると本作もまた確かにジョジョの二次創作作品ではある。それも原作の雰囲気を損なう様な形ではない、ある意味『原作寄り』な形で描かれた作品だ。だが同時に、本作はどうしようもなく『上遠野浩平作品』なのだという確かな読後感も得る事が出来た。上遠野氏のファンとして、この点は素直に嬉しい。
 自分は作家でもなければ編集者でもないので難しい事は分からないが、これが『作家性』というものなのかもしれないと思う。

 プロの作家であれば、二次創作を行う際に絵柄や文体を原作に似せたりする事は苦ではないと思う。実際本作でも漫画独特の台詞回しを小説の中で再現している箇所は多々ある。しかし、どんなに絵柄や文体を原作に合わせ、設定や登場人物を借り受け、原作に忠実に、その雰囲気を損なわない様にと配慮された作品であっても、最後まで消えないもの、消す事が出来ないものが作家性なのではないだろうか。それはある意味で作家本人ですら制御できない病の様なものだ。消そうとしても消せず、隠そうとしても隠し切れない。そして、そうしたものを持つ者だけがプロの作家になるのだろう、きっと。

 さて、自分が上遠野作品を好きな理由の一つとして登場人物達の置かれている境遇や生き方に対する共感がある。彼等は皆どこか途上で、悩みを抱えて足掻いている。まさに冒頭で引用した一文にもそれが現れている訳だが、本作を描く上で、その主人公として原作では途中退場してしまうパンナコッタ・フーゴを選ぶあたりにもこの上遠野作品の特徴が現れている気がした。正当な物語の主役にはなれず、その仲間として最後まで付いて行く事も出来なかった男をあえて主役に据えて描かれる物語は、やはり上遠野作品の直系だと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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