死都に生きる現実 ロベルト・サヴィアーノ『死都ゴモラ』

“旧約聖書の創世記のお話。
 あるとき、ソドムとゴモラという街が、あんまりにも不実な場所だったため、人々は神様に滅ぼしてもらうことを強く願ったそうです。滅びを願う声はどんどん激しくなり、神様は全然気乗りがしないまま、仕方なく二人の天使をつれて地上に降りました。
「こないなこと、アブラハムに黙っとるわけにもいかんなあ。なんせ、あの男を通して、わしが約束した法を、実現してもらわなあかんでなあ」
 そんなわけで神様が街を滅ぼす気でいることを知ったアブラハムは、こう訴えました。
「そら神様、正しいもんまで、悪人と一緒に滅ぼしたら、あかんのではないですか? もしかしたら、その街には正しいもんが五十人はおるかもしれまへんで」
 神様は言いました。「そらお前、五十人も正しいもんがおったら滅ぼすのはやめにするわ」
 アブラハムは言いました。「あー……もしかすると、四十五人くらいしかおらんかも」
「四十五人もおるんなら、滅ぼすのはやめたるわ」
「……いや、やっぱり四十人くらいしかおらんかもしれまへん」
「四十人おるんなら許しとくわ」
「いや、三十人かもしれまへん」
「三十人おるんならやめとくわ」
「いや、二十人かもしれまへん」
「二十人おるんなら、まあ、滅ぼすのはやめたるわ」
「あの……やっぱり、十人くらいしかおらへんかも……」
 おそるおそるアブラハムがそう口にすると、神様は言いました。
「十人おったら、滅ぼすのやめて帰るわ」
 アブラハムは安心しました。正しいものがいる限り、神様は決して街を滅ぼしたりなんかしないということを悟ったからです。
「おおきに、神様」
 後日――ソドムとゴモラは滅びました。”

 冲方丁『オイレンシュピーゲル弐』より


 さて、ロベルト・サヴィアーノ『死都ゴモラ』である。
 旧約聖書に記されたソドムとゴモラは神によって滅ぼされた街として有名だが、その名前は知っていてもどんな物語なのか知らない人は多いだろう。というわけで、長文ではあるが冲方丁氏の『オイレンシュピーゲル弐』の冒頭部分を引用してみた。本来の物語はもう少し長いのだけれどね。

 本著、『死都ゴモラ』のゴモラとは言うまでもなくこの旧約聖書に登場する神によって滅ぼされた街、ゴモラに由来している訳だが、本作は著者であるロベルト・サヴィアーノ氏がイタリアに蔓延るマフィア『カモーラ(カモッラ)』の実態を正に命がけで取材したノンフィクション作品である。それが何故『死都ゴモラ』(原題は『GOMORRA』)というタイトルを冠するに至ったのかは、本著を最後まで読んで頂ければ分かるだろう。

 現代における犯罪組織というものは、合法と非合法の間を自在に行き来し、資本主義経済のシステムに深く浸透している。一口に犯罪組織、或いはマフィアといっても麻薬等の非合法品の売買や恐喝・詐欺行為といった分かり易い違法行為ばかりで資金を得ている訳ではない。

 本作の中に『劫火の地』と題された章がある。そこでは有害物質を含む産業廃棄物の処理に関与するマフィアがいかなる手段を用いて利益を上げ、どの様に有害物質を不法投棄して行くかが描かれているのだが、不法投棄という言葉は適切ではないのではないかと思える程、その処理は高度にシステム化されている。日本でも時折摘発されている様な、収集した廃棄物を人里離れた山中に投棄する程度の問題ではない。もっと大規模に、もっと取り返しの付かないレベルの汚染を広範囲に拡大させながらそれは行われている。そして資本主義経済の恐ろしい所は、自分達もまたその犯罪の一端に、無自覚に関与しているという構造がある事だ。

 自分達が日常的に物を買い、そして捨てるという一連の消費活動はそれ単体では全く合法的に行われる。しかしその生産の現場、そして廃棄の現場を追いかけて行く時に、その全てがまったく合法的に、そして倫理的に問題がない形で行われているという保証はない。自分達の目が届かない範囲で何が行われているのかという事を我々は知り得ないし、本気で知ろうとした事も恐らくは無い。

 以前、中国や東南アジアで深刻化する環境汚染について特集した番組を見ていたが、その中では廃棄された家電製品に組み込まれた基板から金を取り出す仕事を行う組織が登場していた。いわゆる『都市鉱山』ビジネスだが、彼等は安い労働力を集め、ガスバーナーや火にかけた鉄板の上で直接基板を炙らせるという杜撰なやり方で金を集めていた。当然その処理過程では有毒ガスや人体に有害な化学薬品を含む廃液等が大量に発生するが、それらは全て垂れ流しであり、予想される労働者の健康被害に対する防護策など皆無だ。土壌汚染や水質汚濁等を一切考慮しないやり方で再生された金は、こうした組織の手からまた市場に還元され、どこかでまた自分達が購入する製品の中に組み込まれるか、アクセサリーに加工されるか、インゴットに生まれ変わって投資対象になるかする訳だ。

 こうした巨大な構造の中で「自分は善人だ」と胸を張る事が出来る人間が何人いるだろうと考える。ゴモラにも似たこの世界の中で、自分は間違いなく神によって救われるべき善人の側にいるのだと言える者が何人いるだろう。少なくとも自分にはその自信が無い。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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