凡人が生きるという事・海原育人『ドラゴンキラーあります』

 

 時には新刊だけではなく、少し前の作品など……って前回もそうだったけれど、まあ気にしない。

 絶対に勝ち目がない相手が存在するというのはどの程度の絶望なのだろうと思う。
 まあ現実に、例えば今の自分が100m走で誰かと競争するとして、当然勝てる相手と勝てない相手というのは存在する。特に自分なんかは運動不足なので、下手をすると小中学生相手ですらぶっちぎりで負ける可能性もある。しかし競争や勝負というものに参加する以上、それは当然の事だろう。勝つ事もあれば、負ける事もある。たとえ100回競争をして100回負け続けたとしても、そんなものは絶望に値しない。

 『絶対に勝てない相手』に対する絶望というものは、あらゆる努力や可能性を考慮に入れてもなお絶対に勝つ事ができない相手に対してのものだ。先程の様に100m走で喩えるならば、オリンピックの金メダリストと自分が競争したところで勝つ見込みは無い。皆無だ。でも、それは金メダリストがそれまでの人生の中で積み上げてきた努力や研鑽の結果としてそれだけの差が付いたのであって、彼等と同じだけの努力をしたわけでもない自分が負けるのは当然だろう。人生のスタートから全く勝ち目が無かった訳ではない。同じ人間である以上、少なくとも自分が彼等の様になれる可能性はあった。限りなくゼロに近い可能性だったとしても、全くのゼロではなかった筈だ。だが、もしも普通の人間がどんなに努力をしようが犠牲を払おうが、絶対に勝つ事の出来無い相手、勝つ可能性が完全にゼロな相手というものがこの世界にいたとして、しかもそれが人間の姿をして、人と同じ言葉を話し、人と同じ様な感情を持つ存在として自分達の傍らにいたとしたらどうだろう。その絶望をどう言い表せば良いだろう。

 本作に登場する『ドラゴンキラー』とはまさにそんな存在だ。彼等は見た目はほぼ常人と変わらないが、その気になれば素手でドラゴンを殺す力を持った存在であり、銃弾を撃ち込まれようが意に介さない。いや、それ以前に銃弾を当てるという事すら容易ではない。彼等の素早さは常人が目で追えるものではないからだ。しかも彼等は次元が違う身体能力を持つばかりか竜の異能をも身に付け、時に炎や風を自在に操る。

 本作の主人公であるココは軍に所属していた頃、戦場でドラゴンキラーと相対する事になり、敵軍も味方もほぼ壊滅する地獄の様な惨状を生き延びる。そのまま軍を離れ、国を捨て、今は便利屋として暮らしているが、時折フラッシュバックする戦場の記憶に苛まれている。そんなココの元に現れるドラゴンキラー、リリィ。彼女が現れた事で、ココは再び自らの宿敵であるドラゴンキラーと対峙する事となる。

 竜やドラゴンキラーといったファンタジー的な要素はあるものの、その他は概ね現実に即した世界観になっていて、人間の武装といえばリボルバーやボルトアクションライフル等の銃火器だ。もちろん魔法など望むべくもない。人は竜より弱い。そしてその竜をも殺すドラゴンキラーにとっては人間など羽虫以下の存在だ。そんな相手がいる世界で、ただの人間が生きて行くというのはどんな気持ちなのだろう。ましてそんな連中と戦わねばならないのだとしたら?

 自分にとって本作が興味深いのは、ドラゴンキラーを主人公にしなかった事だ。ドラゴンキラーの様な常軌を逸した連中がいる世界で、常人であるココや周囲の人間がどの様に生きて行くのか。そしてドラゴンキラーであるリリィはそんなココとどう接して行くのか。

 思うに、どんなに世の中が理不尽であろうが、自分が弱者だと思い知らされる様な絶対的な強者が存在しようが、その中で人間は何とかして生きて行かなければならないのだろう。自分に出来る範囲で戦い続けなければならないのだろう。もうどうしようもないと諦めて何もしなければ楽になれるかもしれないが、それは生きながらにして腐って行く事と大差ない。ならばみっともなかろうが無様だろうが、もっと言えば全て無駄だろうが、人は足掻き続けてみせなければならない。それを続ける事を、きっと『生きる』と呼ぶのだろうから。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon