長い長い行進の途中で・ASIAN KUNG-FU GENERATION『マーチングバンド』

 震災の年ももうすぐ終わろうとしている。

 これから先も2011年という年が震災の年として記憶され続ける事になるのは明らかだろうが、特に震災後、作家やアーティスト達は一体どの様な作品を発表するのかという事で相当悩んだのではないかと思う。
 以前と変わらない作品を発表するのか、それとも震災後という事を踏まえた表現を作品の中に織り込んで行くのか。あらゆるものの価値観が震災以前から変化しつつある社会の中で、表現者達はまず自分の立ち位置を明確にする事を要求されている。

 変わってしまったものがあり、変わらず残ったものがある。そのどちらも大切なものだろう。それらをどの様に受け止めて行けば良いのかという答えを出す事は容易ではない。ただ確かなのは、時の流れは自分達が答えを出すまで待っていてはくれないという事だ。先が見えないままでも、答えを見出せないままでも、自分達は歩き続けなくてなならない。

 何処へ? どうやって?

 今自分達が向かっている方向が正しいのか間違っているのか。そんな事に答えを出せる人間は誰もいないだろうが、そんな時に人が求めるのは、何があってもこれだけは正しいと思える様な普遍的な価値観なのではないかと思う。それは少なくとも今現在、自分達がまだ生きていて、明日も生き続けて行かなければならないという事だ。

“悲しくなったり
 切なくなったり
 ため息吐いたり
 惨めになったり
 いつかは失ういのちを思ったり
 それでも僕らは息をしよう”

 『マーチングバンド』より

 福島に住んでいて思うのは、これから先の長い時間の事だ。放射性セシウムの半減期が30年だという事は各種報道で嫌という程繰り返されているから皆知っている事だろうと思うけれど、今30代の自分からすれば、30年という時間は今までの自分の人生とほぼ同じ期間だ。そんな、自分という一個人にとっては途方も無い時間が経っても『半減』なのであって、消えてなくなる訳ではない。原発の廃炉にしたって、それと同じだけか、或いはそれ以上の年月が必要になる事は目に見えている。
 福島県の佐藤知事は福島県の復興ビジョンとして、事故を起こした福島第一原発だけではなく、第二原発も含めた県内全ての原発を廃炉にする事を求めて行く方針を示した。これはまだ単なる方針であって決定事項ではないし、県内でも意見の一致が得られているとは言い難いという問題もある。そして仮に全ての原発を廃炉にしても、既に福島という地名はチェルノブイリと並び称されるものになってしまっている訳で、その中での復興、地域振興というものがどの程度可能なのか先は見えていない。
 先に述べた30年というものは、その中での30年なのだ。そして30年経てば自分は60代になるのだ。そんな途方も無い先の事を今からリアルに想像しろ、計画しろと言われても正直困る。何なんだよという憤りがある。かといって他の誰かを責める事も出来ない。

 『それでも僕らは息をしよう』

 そう思えるか。思い続けられるか。
 先を見れば途方に暮れるしかない道程の中で、自分に出来るのはせめて今日自分がまだ息をしているという事を確かめる程度の事でしかない。そして、それを積み重ねて明日に進むという程度の事でしかない。その先の光景はまだ見えないけれど。

 

テーマ : 邦楽
ジャンル : 音楽

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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