壊れ物としての人間 マイケル・ストーン『何が彼を殺人者にしたのか』

 

 殺人に代表される凶悪犯罪、その中でもとりわけ連続殺人や無差別殺人といったものは、社会に大きな衝撃を与える。一つは事件そのものの凶悪さや残虐性、犯人の異常性といった直接的な脅威による社会不安の醸成。そしてもう一つは、その様な異常性を持った人間がなぜ生まれてしまったのかという原因が不透明であったり、彼等の犯行動機が常人には理解不能なものであったりした際に感じる空恐ろしさだ。人間の倫理観や道徳心、社会規範や秩序、或いは愛情や正義感といったものがいかに『壊れ物』であるか。常軌を逸した殺人犯達の姿は否が応でもその事を人々に思い知らせる。

 著者のマイケル・ストーン博士はディスカバリーチャンネルで放送されている『殺人犯の心理学(Most Evil)』に出演している事でも有名な精神鑑定医である。彼は殺人犯を分析し、その凶悪性や邪悪さを基準に22のカテゴリーに分類するという『悪の等級尺度』と呼ばれる基準を考案した事で知られている。

 この『悪の等級尺度』では、正当殺人、つまり緊急時の正当防衛としての殺人や、弱者が虐げられ、自分の身を守る為には最早相手を殺すしか無いという状況に追い込まれた結果としての殺人の場合、邪悪性は最も低いと判断され、カテゴリー1に分類される。それとは逆に、邪悪性が高いと判断される程カテゴリー22という最高のランクに近付いて行く事になる。無差別殺人や連続殺人、被害者に対する常軌を逸した拷問等が行われれば、それだけ悪の等級尺度では上位のカテゴリーに分類される事になる訳だが、最高ランクの22ともなれば、その残酷さや邪悪性は到底同じ人間のする事とは思えず、吐き気を催す程だ。ここでその詳細に触れる事も避けるべきだと思える様な殺人というものがこの世にはあるのだ。

 この『悪の等級尺度』は著者の主観によって判断されているのではないかと思える箇所もあり、殺人犯が分類されるカテゴリーについても本当にそのレベルが妥当なのかどうかについては賛否が分かれる所だ。しかしながら、この様に殺人犯を分析して行く行為に全く意味が無いかと言えば、自分はそうは思わない。少なくとも彼等がなぜ邪悪な存在となるに至ったのか、その原因を知ろうという行為には意味があると思うからだ。場合によっては殺人犯本人よりも、彼をその様な人間にしてしまった家庭や社会の方がより邪悪な行いをしていたのではないかと思える様な場合もある。それで殺人という行為が免罪される訳では無いとしてもだ。

 例えば凶悪犯とされる人物が幼少期に受けた虐待は、彼自身が犯した殺人の邪悪性を遥かに上回る陰湿さや残酷さを持っている場合が少なくない。陰湿ないじめ。育児放棄や性的虐待。拷問という表現の方が妥当なのではないかと思える様な過度のしつけ。愛情を与えず、存在を否定する様な行為。それらによって人間は容易く破壊される。そして一度『壊された』人間が再生する事は非常に困難だと言わざるを得ない。

 人間が壊れ物であるという事。そしてその方法さえ知っていれば、誰でも他の人間を壊してしまう事が出来るという事。その事を知る時に不安になるのは、自分もまた誰かに壊されてしまうかもしれないという事、そして逆に自分以外の誰かを壊してしまうかもしれないという事だ。

 壊れ物としての心を抱えて人間は生きている。そう思うと、何だか軋む様な音が聞こえて来ないだろうか。誰かの心から。或いは自分自身の心から。

 

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