この支配からの卒業・平山瑞穂『3・15卒業闘争』

 

 『卒業闘争』という時代錯誤的な題名を見た時、少し前に「今の若者は尾崎豊に全く共感しない」なんていうニュースを見た事をふと思い出した。今の若者に尾崎豊の歌を聴かせて感想を求めると否定的な意見が多く、「共感できる」と答える生徒は少ないのだそうだ。そもそも誰が何の為に調査をしてこんな結論に至ったのかは忘れたが、言われてみれば確かにそんな気もしてくる。

 時代は変わった。尾崎豊と彼のファン達が戦ってきた『敵』である「若者を束縛する大人社会」的な価値観は既に死に絶えた。まあそれは尾崎達が勝ったという事ではなく、敵が勝手に自滅しただけの事だった訳だが。今や教師は学級崩壊に怯え、モンスターペアレントに噛み付かれて疲弊し、登校拒否になる者もいるという。教師が登校拒否になるなんて自分が中学生の頃なら冗談にしか聞こえなかった筈だが、それが起こり得るのが今の世の中だ。

 時代が変わり、尾崎に共感する若者が減ったという事は、端的に言って今の脆弱な大人社会が既に若者の敵としての強度を持ち得ないという事の証明なのだろう。“この支配からの卒業”と歌ってみたところで、今の大人達はそもそも若者を支配なんてしていないし、しようとしても出来ない訳だから、今の若者が尾崎に共感できなくても仕方ない。

 尾崎豊が亡くなったのは自分が中学2年生の頃で、当時彼のファンでも何でも無かった自分は周囲の尾崎ファンが嘆き悲しむ姿をただ眺めていただけだったが、その頃はまだかろうじて、大人達が『お前らガキは黙って自分達の言う事を聞いとけ』という態度で生きる事を許された時代だったと思う。「男子は丸刈り、女子はおかっぱ」的な校則が生き残っていたのも多分自分達の世代が最後だった筈だ。当時は男子の頭を丸刈りにする事と風紀の乱れを正す事に何の因果関係があるのか理解出来なかったが、要するに管理される側である生徒に自分達の立場をわからせる程度の意味だったのだろうと思う。もしくはそれがどんなに理不尽かつ無意味な規則であったとしても、大人が提示した規則を守る事が生徒の義務なのだと教え込む事が目的だったのかもしれない。それ以外に何らかの効果があったのかと言えば、夏休み等の長期休暇に髪を伸ばした生徒が休み明けの始業式が終わるやいなや生活指導室に連行されて鉄拳制裁を食らうという風物詩を生み出したに過ぎなかった。角刈りと丸刈りとの間に、座った椅子から転げ落ちる程の強さで殴られなければならない程の差異があるとは今でも思えないが、当時教師にぶん殴られていた生徒は今その事をどう振り返るのだろう。

 さて、本作が描く学園というものは正に上記した様な『既に死んだ時代』の学校の姿に他ならない。毎朝校門の前に生活指導の教員が立って、生徒の髪の長さやスカートの丈をチェックしている様な学校。絵に描いた様な不良が下級生をパシリに使ったり、たまり場で教師から隠れて酒を飲み煙草を吸うといったしょうもない悪事を繰り返す学校。そういった、既にノスタルジーの世界にしか存在し得ない様な学校の姿を本作は執拗に描写する。そしてその学校では、「いつから自分はこの学校に通っているのか」「自分達はいつ卒業する事が出来るのか」といった事すらわからない生徒達が、いつまでも繰り返される学校生活を送り続けている。
 彼等が『卒業』する為に必要な事とは何なのか。彼等はいつまで生徒として学校に通い続けなければならないのか。そもそも『卒業』するというのはどんな事なのか。グロテスクにさえ思える永遠の学生生活の中で、彼等は答えを探そうとする。

 今の若者が尾崎豊に共感できない様に、本作の世界観もまたある一定年齢以下の読者にとっては理解不能なものとして受け止められるのかもしれないが、本作がターゲットにしているであろう読者層にとっては確かに毒のある作品だと思う。
 この支配からの卒業、と尾崎は歌った。ならば永遠に卒業する事が出来ない生徒達を支配するものとは何なのだろう。本作が用意した答えは痛烈だ。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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こりゃ作者がかなり痛烈な・・・

痛烈な性格の持ち主か、それとも・・・。

作家の平山さんについて、ちょっとネットで調べてみたら、
おもしろい記事を見つけました。
http://www.birthday-energy.co.jp/

平山さんの性格上、闘争的なのに精神性を重視したりとか
いろいろ矛盾を抱えているとか・・・。
でも、大人になりきれないとかいわれててしまってるし、
イロイロと変わった人かも知れません・・・。

新作『大人になりきれない』も出たみたいですが、こちらは
どうなってるのか・・・。読んでみたいと思います。

>利介さん

『大人になりきれない』というのは、なかなか意味深なタイトルですね。

かく言う自分はもう三十路を超えましたが、大人になったかと言われると怪しいものです。何とも頼りない話ですが、でも、ある意味ではこのままでもいいかなと思います。

自分は昔から「大人になれよ」という言葉が嫌いでした。それは何か自分の中で本当は納得出来ない筈のものや、理解できない価値観を、ただ「そういうもの」として受け入れろ、と言われている気がするからです。もちろん自分も既に社会から大人として扱われる立場ですから、「大人になれよ」と言う側の都合も理解はしているつもりですし、周囲に合わせる事もしますが、それでも内面では結構色々な事に対して子供の様な反抗心をしつこく抱え続けていたりします。我ながら「大人になりきれない」奴です。でも今はそれも悪くないと思います。ある意味開き直りですが。
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Author:黒犬
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