若さの中にある切実さ・Galileo Galilei『管制塔』

 

 最初に言っておくと、以下に書く事はある意味30越えたオッサンの繰り言に近い内容なので、もし若い人が読んだら気分を害する事もあるかもしれない。その事をまず謝っておかなければならないと思う。

 さて、自分は本を読んだり映画を観たりする事が好きな人間で、だからこそこんなブログをやっている訳だけれど、それらの作品に最初に触れた時、自分が何歳だったかという事はやはり大きい意味を持っている様に思う。もちろんどんな世代の人間にとっても普遍的で素晴らしい価値を持った作品というものもある。でも、例えば万人を感動させる様な作品がそこにあったとしても、その感動の質や意味合いは世代毎に異なるだろうとも思うのだ。

 例えば今の自分が考える事と、思春期の頃の自分が考える事が違う様に、同じ人間が同じ作品に出会ったとしても、そこで何を感じるのかという事は年齢によって違う。より正確に言えば、それは年齢の違いというよりも、その時の自分が置かれた環境や立場の違いなのだろうけれど。

 それで、既に社会人になった自分はGalileo Galileiの曲を聴きながら、まだ学生だった頃の自分が彼等の曲を聴いたならどう思うだろうか、なんていう事を考えている。『管制塔』とか好きそうだな、なんて。いや、今の自分も当然嫌いではないけれど、若い頃の自分ならこの曲をもっと切実に受け止めていただろうと思うのだ。


“望んだ未来が来るのかって不安で いつでも僕ら少し震えてた
 僕らが飛ばした希望の紙飛行機の事を いつまでも君と話していられたらいいのに

 管制塔 僕らの飛ばした未来が
 見えるでしょ 綺麗でしょ そいつを信じていたいんだ
 管制塔 僕らの信じた未来が
 いつの日か来るんでしょ それを待っているんだ”

 『管制塔』より


 『管制塔』は『パレード』というアルバムの最後に収録されている曲で、これを元にして製作された同名の映画があるのだけれど、これが予告編を観ただけでもう今の自分には耐えられそうもない感じの青春映画で辛い。更に言えばこの曲のPVも映画のダイジェスト風な作りになっていて、正直観てしまった後のダメージが酷かった。何だろう、思春期の切実さと痛さをこれでもかと濃縮してみました、みたいな作りになってて。でもそれを観ている自分は既に30を越えたオッサンで、思春期の少年達が抱えている切実さが崩れてしまった後の世界を生きている。だから今の自分は知っている。

 信じた未来はどれだけ待っても来なかった事を。
 それを信じていた自分すらも変わってしまった事を。

 それらを全て過去形にして、既に終わった事として捨て去って、身軽になって生きて行けば良いのだろう、本当は。仕方のない事だった。そう割り切って生きて行く事は悪い事でも何でもない。
 まあ、そんな事が本当に出来たら苦労はしないし、ここでこんな文章を書いてもいないのだろうけれどね。

 今この文章を書きながら、『ハマナスの花』『パレード』『PORTAL』というGalileo Galileiのアルバム3枚を通して聴いているのだけれど、『青い栞』に代表される様なタイアップ曲が多くてキャッチーな最新アルバム『PORTAL』に比べると『パレード』は若干ゴツゴツしている気がする。そしてその中でもアコースティックの『管制塔』はちょっと異質な位刺々しい。もちろんそれは他人に向けられた刺々しさではなく、自分自身に向けられた刺々しさだ。思春期特有の、自分で自分を許さない様な頑なさ、とでも言えばいいだろうか。そしてもう大人になってしまった自分は過去を振り返っては、今となっては取り戻せないものの多さに途方に暮れる。

 ……簡単じゃないね。色々とさ。

  

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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