福島から見る虚構の世界・岩井俊二『番犬は庭を守る』

 

 小説にしろ、漫画にしろ、映画にしろ、いずれは震災や原発事故をテーマにした作品が出て来るだろうと思っていた。創作活動を行う人々が、今回の震災や原発事故をどの様に受け止め、それをどの様な形で作品に反映させて行くのかという事。それは福島県に住む自分にとっても注視して行かなければならないものだと思う。とりわけ、原発事故については。

 さて、本作は『スワロウテイル』等の作品で知られる岩井俊二氏が10年振りに挑んだ書き下ろし長編小説で、老朽化した原発の臨界事故が多発する様になった架空の国家を舞台にしている。地名は架空だが、かつて捕鯨文化を持ち、現在は多数の原発を持つという世界観は明らかに現実の日本を連想させるものだ。

 老朽化し、廃炉にされた原発を多数抱えるこの国では、原発の管理不備から臨界事故が多発する様になり、結果として国土は広範囲に汚染される事となった。放射能汚染の影響下で男性の精子数は減少し、精子そのものの劣悪化も進む。通常の性行為を経た上での妊娠出産が困難になる中、優良な精子を保有する男性は『種馬』として民間の精子バンクに登録され巨額の報酬を得る様になり、一方で第二次性徴期を迎えても性器が大きくならず、セックスが出来ない若者は『小便小僧』と揶揄される様になる。種馬として大金を稼ぐ者が『種馬成金』と呼ばれる中、小便小僧として生まれてしまった者は少ない収入の中から費用を工面し、他人の精子を買う事でしか子を授かる術がない。
 一方で女性もまた出産の為に汚染検査を受けなければならず、身体の汚染レベルを下げる為の臓器移植を余儀なくされている。自分の遺伝子を組み込んだ豚を買い、その『人間豚』から摘出した肝臓や膵臓、脾臓や腎臓を汚染された臓器の代わりに移植するのだ。
 子どもを産むという自然の営みすら、ここまで人の手を加えなければ成し得なくなってしまった世界。そんな言ってみれば『壊れた世界』で、人々は生きている。そしてそんな風に世界を壊したのもまた同じ人間だ。

 主人公のウマソーもまた、小便小僧として生まれてしまった一人だ。思春期に自分が小便小僧だと思い知らされた彼の絶望。やがて『番犬』として廃炉となった原発の警備に就く事となる彼の顛末は、架空の物語とはいえ痛々しい。

 こうした作品に触れる時、福島県に住んでいる自分は複雑な心境になる。もちろんこの作品が、やがて老朽化し廃炉となる原発の処理について、また現在停止中の原発の再稼働について一定の警鐘を鳴らすものだという評価はある。しかしながら、ある意味で原発事故の当事者でもある自分にとって、まだ割り切れないものがある事も確かだ。
 現実の原発事故が、言ってみればフィクションの『ネタ』として機能してしまう事への忌避感がまずひとつ。もうひとつは『種馬成金』や『小便小僧』という言葉が持つ生々しさが、フィクションの中だけに留まらず将来の自分達に降り掛かってくるのではないかという危惧だ。

 もちろん岩井氏の側に「原発事故を『ネタ』に作品を作ってやろう」などという考えが無い事は理解している。聞けば本作の原案が完成したのは10年以上前に遡ると言うから、岩井氏は純粋に原発事故の現状と日本の将来を危惧しておられるのだろう。だから今この作品を世に出す事にしたのだと思うし、本作によって今現実に日本が抱えている原発問題がクローズアップされるなら素晴らしい事だと思う。埋もれさせてはならない問題に光を当てる事には意義があると思うし、その為の方法や表現の場は多い程良い。しかしながら、自分にとって原発事故はまだ現在進行形の問題で、その生々しさが、自分が作品世界に入り込む際の抵抗になっている。

 『番犬は庭を守る』はフィクションだ。しかし福島第一原子力発電所は今もそこにある。

 自分には妻子がいない。だから子を持つ親の気持ちや、子を持つ事を欲する人の気持ちを完全に理解する事は難しい。けれど同じ県内に住む女性が何かのインタビューに対して「子どもを産む事はもう諦めました」という内容のコメントを寄せていたのを見て、その現実の重さに言葉を失った。
 岩井氏が10年以上前に今日の状況を予見していたと言うつもりはない。ただ、10年後の今、自分が生きている場所は『番犬は庭を守る』の世界とどこか重なっている。10年前にはフィクションに過ぎなかった物語が世に出る事もなく眠っていた間に、現実が追い付いてしまった形だ。だから自分はまだ本作を『小説として』割り切って読むという事が出来ないのだろうと思う。

 福島から見る虚構の世界は、遠くて近い。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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