区別された世界の中で・伊藤計劃『The Indifference Engine』

 

 「これは差別じゃない、区別だ」

 そんな言葉を耳にした事がある。いつ、誰から聞いたのかは覚えていないが、話の流れとしては人種差別の話題だった様に思う。○○人だから気に入らない。○○人は酷い連中だ。公の場でそんな風に人種『差別』的な発言をすれば、当然批判される事もあるだろう。そんな時に、これは『差別』ではなく『区別』だと言い換える事で、自分はあなた方が嫌っている様な人種差別主義者ではないよ、という事を周囲にアピールする。そんな意味での発言だった様に思う。

 「いわれのない『差別』は良くない。それは理解しているし、自分も人種差別主義者ではない。でも相手と自分が違う価値観に則って生きている以上、そこに差がある事は必然だし、両者を『区別』しなければならないとしてもそれは仕方がない」という文脈がそこにはある。単に「俺は○○人が嫌いなんだよね」と言うよりも相手を納得させ易いからこうした言い回しが生まれるのだろうが、こうなってくると差別だろうが区別だろうが同じ事だろうという気もする。「○○人が嫌いだ」と言う時、多くの場合そこに特定の個人は存在せず、過去の歴史や信仰の違い、また生活習慣や価値観の違いからくる、ステレオタイプな「○○人というイメージ」を嫌っている事の方が多い様に思うのだが、これが個人レベルではなく、例えば歴史教育の中に組み込まれたりすると、差別意識が世代を超えて受け継がれるという事にもなる。

 異なる民族同士が互いに憎しみを募らせ、紛争を繰り返す。そんな現場は世界中の至る所にある。そして、根本的な問題解決の為にはどちらかの民族がこの世から消え去るまで殺し合いを続けなくてはならないのだろうかと思える程、それらの争いは長期化し、泥沼化している。出口のない紛争は屍の山を築き上げるばかりだが、互いの民族がどれだけ平和を希求しようとも、彼等が互いを許し合う事はない。彼等を縛る歴史がそれを許さないから。彼等が抱える価値観の違いが埋められないから。だから両者は延々と憎しみ合い、殺し合う。

 故・伊藤計劃氏の遺稿を収録した本著の中で、表題作である『The Indifference Engine』では、その憎しみを消し去ろうとして人が産み出した『公平化機関(インディファレンス・エンジン)』なるものの歪さと、憎しみに振り回される人間の悲哀が描かれる事になる。彼等は、そして自分達は何故互いに憎しみ合い、殺し合う様に仕向けられてしまうのか。差別や区別はどの様にして人間の心に根を下ろし、対立の芽を育てるのか。その答えの一端がここにはある。
 作中で、ある男はこう言い切る。

“戦うには歴史が必要だ。俺たちが戦う拠り所となり、奴らと俺らとを隔てるのに必要な歴史がな”

“歴史ってのはな、戦争のために立ち上げられる、それだけのもんなんだ。歴史があるから戦争が起こるんじゃないぞ。戦争を起こすために歴史が必要なんだ。奴らと俺たちは違っていて、奴らと戦わなきゃいかんだけの理由をひねり出すためにな。歴史だけじゃないぞ。国だってそうだ。ホアだのゼマだのといった部族だってそうだ。いや、そもそもだな、俺とかお前とかいう区別だって、戦争のためにあるんだ。殺し『合う』ためには、お前と俺とが別々じゃなきゃできんからな。『俺』と『お前』が憎みあうから戦争が起こるんじゃない。戦争するために『俺』なんてもんは存在するんだ”

 差別、或いは区別。民族、国家、宗教、性別、世代。自分達は毎日必死であらゆるものに線引きをしている。相手がどちら側に属する人間なのか。そして自分はどこに属する人間なのか。そうやって必死に分類し、区別して、自分達はこの『自分』なるものを守っているつもりでいる。しかしその実、自分達はその自ら定めた区別や線引きによって自縄自縛に陥り、本当は意味などない対立の為に大切な何かをすり減らして行く。そこから抜け出す事も出来ないまま。

 現実の世界では震災があり、原発事故があった。そして皆が叫んだ。『絆』という言葉を。繰り返し叫び続けた。自分達は繋がっているんだと。でも、そこまでやってもなお、誰かが引いた、そしてこれからも引き続けられるであろう『区別』の中に自分達は取り残されている。そこには出口なんてない。

 もう疲れた。だから少しだけ目を閉じる事を許して欲しい。
 そして、せめてその間だけでも全ての『区別』が見えなくなればいいな、と思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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