少年の空虚を埋めるもの・西尾維新『悲鳴伝』

 


“地球が悲鳴をあげてるぜ”

 『バトルフィーバーJ』より

 ……ただし、その『地球の悲鳴』が人間に助けを求めているものだとは限らない。

 地球の悲鳴。その『大いなる悲鳴』が世界中に轟いた時、それを聞いた全人類の3分の1は絶命した。まるでマンドラゴラが引き抜かれた時に発するという、それを聞いた者の命を奪う『死の悲鳴』の様に、地球が発したというその『大いなる悲鳴』はあらゆる人間の命を無作為に刈り取った。自然災害や天変地異などとは比べ物にならない、人間だけを狙い撃ちにした「攻撃」によって、地球上の総人口の3分の1を一瞬で削り取られるという多大なる被害を受けた人類は、以前にも増して『悪しき地球との戦い』を強いられる事となる。そしてこの手の、一般人の手には負えない巨悪と戦うのは、昔から変身ヒーローの役目だと相場が決まっているのだった。

 本作は、一言で言えば変身ヒーローものだ。ただし、その中身は相当に屈折している。本作に登場するヒーローを動かすのは正義感でも使命感でもない。西尾維新という作家はそんな人間味にあふれた人物を、本作の主人公に設定しなかった。そして主人公以外の登場人物達もまた、一般的な感覚からすればどこか『壊れた』人間ばかりだ。この辺りのバランス感覚がいかにも西尾氏の面目躍如といった感があるが、そもそも物語に登場する様な正義のヒーローが現実にいたとして、それがまともな神経で務まるのかと言えば限りなく怪しいという事に自分達も薄々気付いているのかもしれない。

 アニメや特撮といった子供向け番組に出て来る変身ヒーロー達は皆正義の人だ。全人類を守護する正義の味方。そして大抵の場合、敵は人間ではない悪魔の様な怪人連中や巨大怪獣で、人類を一人残らず滅ぼそうとか奴隷支配しようとか、単純に破壊衝動に従って何もかもを壊してしまおうとか考えている。お互いに交渉の余地は無く、どちらかが倒れるまで戦いは続く訳だが、大抵の場合は正義の味方が勝って一件落着となる。これはある意味時代劇の様な、勧善懲悪という様式美の世界で展開される物語だ。その現実離れした世界観の中だからこそ、誰の目から見ても非の打ち所のない、異論を差し挟む余地のない正義のヒーローというものが成り立つ。
 だが、現実を生きる自分達、それも大人が冷静に考えれば、実は正義という言葉ほど扱い難く胡散臭い言葉も無い事に気付く。それは「自由と正義」の為に世界中至る所で繰り広げられる戦争や紛争の様に、お互いの立場が変われば意味を変えてしまう言葉だからだ。正義の味方が味方するのはどんな正義なのか。それは誰にとっての正義なのか。それが誰からも受け入れられる正義である事は、現実にはまずない。お互いの立場の違い、主義主張の違いが消える事など無い様に、複数の正義が潰し合いを続けるのがこの世界の有り様だからだ。そして、往々にして正義というものは、目的達成の為ならば犠牲が出る事を厭わない。そして唱える正義が大きい程、許容出来る犠牲の総量も増えて行く。国家間の戦争や紛争といったものが個々人としての兵士達の都合や心情を斟酌しないのと同じ様に。

 では、この物語にある様な「人類を守る」という立場の正義に立つならば、一体その過程でどれ程の犠牲が出る事を許容出来るものだろうか。例えば1人の敵を討つ為に100人の人間を巻き添えにしなければならないとして、その1人の敵を生かしておく事が地球上の全ての人間を脅かす脅威となり得るならば、100人を道連れに敵を倒す事を厭わない、という種類の正義も存在する。もちろん巻き添えにされる側にとってはたまったものではないが、正義という名の使命を帯びたヒーローは躊躇無くそれを行える人間でなくてはならない。人類を守るという大目的の為ならば、目の前にいる100人の命を切り捨てられるのがヒーローの、英雄の資質だとするなら。

“英雄になりたければなればいい。
 誰もそれを邪魔したりしない。
 きみが誰かの邪魔者になるだけだ。”

 かくして世界はヒーローという名の人格破綻者の登場を要求する。

 あらゆる事に心を動かされず、地球人類を守護するという目的遂行の為ならば、言い換えれば正義の為ならばどんな悪行も虐殺も不道徳も許容し得る壊れた人間を求める。この『悲鳴伝』はそうして集められた壊れた人間達による群像劇であり、その中でも最も大きな欠陥を、欠落を抱え込んでいる主人公、空々空という少年の物語だ。ある意味ではその名前の通り空っぽな少年である彼が、この物語の中で何を喪い、そして何を手に入れるのか。つまるところ、この話はそれだけの物語だと言っていい。一人の少年が生き、その中で他者と出会い、別れるというありふれた物語。荒唐無稽な世界観を引き剥がせば、きっとこの物語はそんな風にシンプルなものになる。できればその中に僅かばかりでも救いがあって欲しいと願うのは、読者である自分の勝手な思いなのだろうけれどね。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon