無差別テロ化する『社会への復讐』(1)

 初めに言っておくと、自分は事件を起こした犯人達を擁護するつもりは全く無い。その事を踏まえて以下を読んでもらいたい。

 <関連項目>

 YOMIURI ONLINE『パチンコ店放火容疑者「炎上、眺めていた」』

 自分の人生が上手く行かない時、単に自分の努力が足りなかったり、怠けていた結果だった場合であれば自己責任の一言でカタが付く。『悪いのは自分』はい、終了。
 ただ、現実はそんなに簡単には出来ていない。

 ここの所、長引く不況が原因での失業や生活苦、将来への不安等を動機として、人生に絶望した結果、破滅的な犯罪に走る事例が多く報道されている。この放火事件しかり、秋葉原の通り魔事件しかり。彼等は自分の現状に絶望し、この先の人生に対する希望も持てなくなった結果、無差別テロ的な犯罪行為に走る。自分の人生を投げ捨てるという意味では自爆テロ的な意味合いもある。

 無差別テロ、自爆テロというと、原理主義的な宗教に洗脳された人間の専売特許と思われがちだが、両者に共通しているのは『社会に対する憎悪』だ。

 例えば今自分が不況によって突然に職を奪われたとする。人員整理で解雇されるとか、会社が倒産するとか、まあ具体的な中身は何でもいい。その時『もっと価値がある社員になるべく、努力しなかったお前が悪いんだよ』『会社の危機に社員として何も出来なかったお前が悪いんだよ』という自己責任論がどこまで通用するものだろうか。
 社会的にはそれで十分なのだろう。ただ、切り捨てられる側の個人にとって、はいそうですかとそれを飲む事は難しい。

 更に今回不況になったそもそもの原因は米国のサブプライムローン問題による住宅バブルの崩壊に端を発していて、誰に責任の所在があるのか等と追求してもきりがない。自分はNHKスペシャル『マネー資本主義』をこれまで毎回見ているのだが、それでも『結局誰が悪かったのか』と聞かれれば微妙な所だ。グリーンスパン前FRB議長が情勢を見誤った事が問題だったのか、それともモーゲージ債なんてものが出来た時にこうなる事は決まっていたのか、はたまたそれに群がった投資家や、投資銀行で働いていた人間一人一人が原因なのか。

 一番簡単なのはこういう時『まるで城の様なプール付きの豪邸に住む人生の勝ち組を絵に描いた様な黒幕』が現れる事だ。そいつはクロールでその広いプールをザバッザバッと泳いだ後でおもむろに水から上がり、真っ白なバスローブなんかを着てプールサイドでくつろぎながら、酒と女を両脇に揃えて『あれは全部俺が仕組んだんだよ』と得意気に暴露するのだ。それで自称正義の味方がそいつを暗殺、皆こいつのせいでしたって事で一件落着・・・なら本当に楽だったんだけどね。今時ハリウッド映画でもここまでコテコテの展開は無い。現実はそんなに単純ではないのだ。

 となると、自分を始めとした哀れな凡人組は自分以外の誰を、何を恨めばいいのか。

 一番健全なのは『仕方ない事』として現状を割り切って、責任の所在や恨みつらみは脇に置き、今の自分に許された範囲の中で、生活を守る為に最良と思える選択肢を選ぶ事だ。

 だが、その選択肢さえもろくに与えられず、将来の展望が全く見えない中に叩き込まれる時、やはり人間は恨みを向ける対象を探さずにいられない。俺が悪いのか?誰が悪いのか?そしてやがて結論する。

 『社会が悪いんじゃないのか?』

 この場合の『社会』とは何か。資本主義経済の事か?政治、経済全般を含む社会構造全体の事か?それとも人種、宗教の違いや移民排斥等に関する対立軸が問題なのか?もっと観念的に人間の欲深さとか業とかの問題なのか。

 答えは恐らく『自分以外の全て』だ。

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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