世界に己を刻むという事・冲方丁『天地明察』

  

 文庫版が刊行されたのを機にようやく読んだ。2010年本屋大賞受賞作という事で、各界で大いに話題になった事も記憶に新しい。また今年は映画化もされるという事で、文庫の帯にも「本屋大賞受賞作映画化!」と大きく書かれていた。
 これだけ有名な作品なのであらすじは他に譲るとして、これでも冲方作品を色々と読んでいる自分が抱いた感想は「これもまた実に冲方丁氏らしい作品」だという、今更書くまでもない様なものだった。

 『作家性』という言葉を使えばいいのだろうか。実は自分はこの作家性というものをいまいち理解しない読者なのだけれど、作家性という言葉がいわゆるその作家の「らしさ」を表す言葉だとすれば、本作は実に冲方氏「らしい」作品だと思う。
 これは全くの主観だが、冲方氏は『旅をする人』を執拗に描いて来た作家なのではないかという気がする。自分がこれまで読んで来た冲方作品といえば『黒い季節』『マルドゥック・スクランブル』『微睡みのセフィロト』『ばいばい、アース』等の代表作から『カルドセプト創伝』『カオスレギオン』『シュピーゲル・シリーズ』まで幅広い訳だけれど、ある時はSF、またある時はファンタジー、そしてまたある時には時代小説と、作者自身も様々なジャンルを縦横無尽に渡り歩きながら、冲方丁という人は常に「何かを、何処かを目指して旅をする者」を描いている様な気がしてならない。それは実際に物語の舞台の中で登場人物達が各地を転々とするという事だけではなくて、何か彼等がその人生の中で、自分が今立っている場所ではない、どこか遠くの目標を目指してどこまでも旅をして行く様な、その「長い道程」を感じさせる様な作品が多い様に思うのだ。

 本作でもまた、主人公である渋川春海は碁打ちとしての自分と、算術に生きがいを求める自分との間で悩む。そして『改暦』という国家事業に携わる機会を得て、二十年以上にも及ぶ全身全霊を懸けた勝負に挑んで行く事になる。それは誰か他者との勝負ではなく、恐らく「天地」との勝負であり、世界、或いは社会というものの中で自分というものをいかに打ち立てていくかという勝負ではなかったかと思う。渋川春海が探し続ける『己だけの春の海辺』は、どこかに用意されているものではないのだから。

 「自分探し」という言葉が使われる様になったのはいつ頃からなのか知らない。しかし、自分の生き方やあり方といったものは、探せば見付かるものなのだろうか。この世界の中で、自分がいるべき場所、自分が進むべき道というものは、そうやってどこかに用意されているものなのだろうか。少なくとも冲方氏は『否』と言っている。自分にはそう思える。
 かつて『ばいばい、アース』の中で、冲方氏は『世界を穿孔せよ』と書いた。『そのときお前が世界に刻まれる――お前が真に花咲く――』と。世界に、己というものを穿つ事。刻み付ける事。その様に生きるという事。そして本作では渋川春海という歴史上の人物の生き様を描く事で同じ事を言っている。世界を旅するという事はその中で自分を『探す』事ではなく、その旅の過程で世界の側に自分を『刻み付ける』事なのだと。

 容易な事ではない。誰でも出来るという事でもない。ただ、生きているという事が既にその『旅』の途上であるのなら、自分達は既に皆その戦場に立っているという事でもある。生まれながらにして、否応もなく。ならばその勝負の中で、自分というものとどう向き合って行くのか。自分の形を、どの様にこの世界に刻んで行くのか。それを問い続ける事も含めて、まだ旅は続いて行くのだろう。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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