優しい魔法は似合わない・ナカオカガク『キリングシュガー』

 

 なぜ女の子が好きかというと、それは自分が男だからで、なぜ銃が好きかと言われると、それも同じ理由だと思う。ではその2つの組み合わせはどうなるかというと、嫌いになる理由がちょっと思い浮かばない。まあ虚構限定だけれどね。現実には女の子と銃なんていう物騒なものは縁が無い方が良いだろうし、自分が実際に銃で誰かを撃つとか、ましてや撃たれる側にまわるなんて願い下げだ。玩具の銃なら良いけれど。

 さて、「少女と銃の物語」といっても色々なパターンがあるけれど、本作『キリングシュガー』に登場するのはMRDと呼ばれる奇病を抱えた少女達だ。MRD、多重現実症と呼ばれるその病を発症した者は、大きく2つのパターンに分類される。R型とI型。R型は現実を妄想に変える。I型は妄想を現実に変える。だからI型を発症した少女が望めば何も無い空間から妄想の銃器が具現化される。何の為に?それは彼女達と同じ様にMRDを発症し「手に負えない」とみなされた者を組織の命に従って抹殺する為に。

  超常的な能力によって銃を生み出して戦う、という設定は深見真氏が『アフリカン・ゲーム・カートリッジズ』や『疾走する思春期のパラベラム』の中で用いている。ただ本作は深見氏の小説にある様なミリタリーに対する描写は抑えられている感じで、登場する少女達の心情を追って行く内にさらりと読めてしまう印象だ。しかし本作にとってはそれがむしろ良い方向性なのかもしれない。
 本当は無力な少女達が、その妄想を現実に持ち出す事によって戦う力を得る。本作にとって重要なのはその部分で、実は彼女達の武器は何でも良い。刃物でも良いし、もっと荒唐無稽なものでも構わない。重要なのは、彼女達が現実に対抗する手段が妄想であるという事であり、もっと言えば彼女達が現実に抗う為の武器はそれしかないという事だ。

 妄想の具現化。それはもう魔法の様なものだ。それが病のせいであり、決して自分で望んだ力ではないとはいえ、せっかくそんな魔法じみた能力を手に入れたのだから、もっと優しい事に使えばいいのにと自分は思う。妄想が現実になると言うのなら、それは別に銃でなくても、現実を否定する為の武器でなくても良い筈だから。けれど物語の中ではR型の少女がそこにいる人間の命ごと現実を削り取り、それを阻止しようとするI型の少女が自ら生み出した無骨な銃を撃つ。不毛な命の削り合い。相手の存在を否定する為の殺し合い。そこに手品の様な優しい魔法の入り込む余地は無い。
 彼女達の妄想は常に現実を否定する方向に傾いて行く。きっとそれはこの現実が優しいものじゃないという事に自分達が気付いているからだろうし、心のどこかでこのクソッタレな現実を否定したいという欲求に駆られているからだろう。世界なんて消えてしまえ。現実なんて壊れてしまえ。それらは無慈悲で、今ここにいる自分の存在や願いなんて顧みてはくれないから。彼女達の撃ち放つ銃弾は、そんな世界の中で「私は確かにここにいる」という叫びにも思える。

 “この世界を組んだプログラマーがいい加減なやつだってことは、誰から教わったわけじゃなく知ってる。納期が七日の急ごしらえ、出来上がりには開発スタッフ一同手を打って喜んだって話だけど、上出来にはほど遠い。
 バグだらけの有料β版でご満足ください。苦情その他は最寄りの教会まで。なお、一度開封された人生はお取り替え致しかねますので、ご了承願います。フザケるな。金返せ。”

 こんな書き出しで始まるこの物語には、やはり優しい魔法は似合わないのだろう。世界は、社会は、現実は、個人に対する優しさなんて持ち合わせてはいないから。だからその中で生きるしかない自分達は、銃だろうが超能力だろうが、妄想を具現化する病だろうが何だろうがあらゆるものを使って自分の存在を守らなければならない。世知辛い話だけれど、そういう世界で自分達は生きている。

 さて、妄想の銃も、現実の銃も持ち合わせていない自分達は何を武器にこの現実と戦えば良いのだろう。ふと、そんな事を思った。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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