オーラル・ヒストリーという力 マックス・ブルックス『WORLD WAR Z』

 

 最近読んだ押井守氏の『ゾンビ日記』に触発されてまたゾンビものが読みたくなり、前々から気になっていた本作『WORLD WAR Z』に手を出してみた。『ゾンビ日記』に登場する<死者>達が人を襲わない、ただ徘徊する死者であったのに対し、本作に登場するゾンビ達は人を襲い、襲われた者もまたゾンビとなってどこまでも仲間を増やして行くという、数々の映画等でお馴染みのゾンビ像を踏襲している。しかし本作がその数多あるゾンビものと一線を画しているのは、「オーラル・ヒストリー」と呼ばれる形式によって物語が展開される部分だ。

 オーラル・ヒストリーとは、例えば歴史的な出来事について、その関係者から聞き取りを行い、数多くの体験談をまとめる事によって、物事の全体像を明らかにしようとする手法を指す。そして本作の原題『World War Z: An Oral History of the Zombie War』を見ても分かる様に、本作では「全世界を襲った対ゾンビ戦争の終戦から十数年後にまとめられたインタビュー記録」として様々な登場人物達の「戦争体験」が語られる事になる。それらはもちろん架空のものなのだけれど、例えば各国が押し寄せるゾンビに対してどんな戦いを展開したのか、またその中で個人がいかに生きて行ったのかという点について、実際に起こり得るのではないかと思える様なリアルで、生々しいものを感じさせる内容になっている。

 ここで話は少し本作から逸れる。

 自分は『WORLD WAR Z』を読み、架空の戦争体験に触れる事で、その物語をリアルだと感じている。しかし、実際にあった東日本大震災と、その後の原発事故について考える時に、例えば原発事故の詳細についてリアルに把握しているかと言われると、これが実に怪しい。今も福島県に住んでいるにもかかわらずだ。
 原発事故はもちろん架空の出来事ではない。そうであったらいいと思った事は一度や二度ではないが、当然事実は覆らない。しかし、事故の重大さからすれば考えられない事の様に思えるが、自分の中で原発事故に対する現実味が薄れてしまっている様に思うのだ。それは何故だろうか。

 自分が住む場所は直線距離にして原発から60km以上離れている。内陸部だから、あの巨大津波を直接目にする事も無かった。地震で家屋は半壊認定されたが、完全に倒壊した訳ではなかったので、修繕をして今も同じ家に住み続けている。幸いにもあの震災での被害は軽かったと言えるだろう。だから自分は地震や津波で本当に酷い被害を受けた地域に住んでいた方々ほどには、この震災を実感できていない事になる。それは原発事故についても同様だ。
 これまで自分は原発事故について少しでも情報を得ようとして各種報道に目を通したり、ネットで情報収集をしたりしてきた。『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』が刊行された時には当然買って読んだ。しかしそれらの『情報』が、自分が原発事故をリアルに把握する為の手助けになったかと言われれば、残念ながら答えは否だ。

 『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』を買って読んだ人なら分かると思うが、実際報告書の内容は論文に近いもので、専門用語や数値データが頻出する箇所は本当に読み難い。起こった事実について、淡々と時系列に沿って語る部分は理路整然としているのだけれど、そこからは事故の重大性や現場で働く人々が抱えている緊迫感等が消えてしまっている。言い換えれば漂白され、脱臭された様な文章になってしまっている。そんな言葉にリアルさは無い。
 こうした報告書に個人の主観が入り込む事は、公平性を保つ観点からすれば好ましくないのだろうとは思う。しかし事故を風化させない為には、震災や原発事故に関するオーラル・ヒストリーが必要なのではないかと思うのだ。
 少なくとも自分は、空間の放射線量が何マイクロシーベルト毎時だとか、放出された放射性物質が何ベクレルだとか、そんな数値を何度繰り返し聞かされてもそこから原発事故の実態をリアルに想像する事が出来なかった。恐らく自分が原発事故を理解する為に求めている情報とは、オーラル・ヒストリーの方なのだ。

 『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』の中にも、一部ではあるが現場関係者の証言が掲載されている箇所がある。そこに調査報告書の様な客観性は無いのかもしれない。しかし、主観を排して客観的な数値だけを並べた文章からは抜け落ちてしまっているリアルが、そこにはある様に思う。『WORLD WAR Z』という架空のオーラル・ヒストリーを通してそれを実感させられるというのは皮肉ではあるのだけれど、大飯原発の再稼働を前にして、今一度原発事故に対する問題意識、現実認識を再確認する必要があるのではないかと思う。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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