今は無力な自分だとしても・花田智『天狼新星 SIRIUS:Hypernova』

 

 一読して、難しい単語が頻出する小説ではあると思う。
 『光ソリトン通信』『ソリタリー・パケット』『特殊電脳兵(サイ・ソル)』『dB(ダイレクト・バインダー)』『亜空間創造(バーチャル・リアライズ)』等、耳慣れない言葉が次々に登場する。他にも量子コンピュータ等、SF的なガジェットが散りばめられているため、一見して難解かつ複雑な物語であるかの様に思えてしまう。しかしながら本作のテーマは本当にシンプルなものだ。そこがいいと思う。

 運命という言葉がある。
 その存在を信じるか否かは個人の判断に委ねられているが、一般的に運命とは自分の外側からやって来る、避けられないものとして受け止められていると思う。「こうなる事は運命だった」などと言う時、そこに人の意思が介在する余地はない。そして大抵の場合、その運命とは悲劇的な結末を運んで来るものだ。
 もしも自分の眼前に、そんな悲劇的な結末を予言するものが現れたとすれば、その時人はどうするのだろう。例えば世界の終末の様な、避けられない運命を囁くものが現れたとする。その時自分達はどうするのだろうか。そのか細き声とどう向き合い、どう生きる事を選択するのだろうか。

 仮に、そう遠くない未来に世界が滅んでしまうとする。原因は何でもいい。巨大隕石の衝突でも、地球規模の異常気象や地殻変動でも、治療法の無い新型ウイルスの蔓延でもいい。何なら核戦争だって構わない。とにかく世界は滅んでしまうのだと仮定してみる。そしてそれは確定事項であり、避ける事も覆す事も出来ない運命なのだとする。その運命を決めているのが誰なのかは分からない。それは神とやらなのかもしれないし、未来を囁く機械なのかもしれない。それもまた何だって構わない。ここで大事なのは、そんな中で自分自身が、自分自身の存在とどう向き合えるかという事だ。

 自分が何をしても運命は変えられないし、未来は変わらない。自分はただ流されて行くだけの存在なのだ……そう思う時、人は無力感に襲われる。もしも自分の意思や願い、そして自分自身の存在に、全く意味が無いのだとしたら。無価値なのだとしたら。それでも今こうしてここにどうしようもなく存在してしまっている自分自身と、自分はどう向き合えば良いのか。自分自身の存在に、どう報いてやれば良いのか。

 運命という奴が本当に存在するのかどうか、自分には分からない。この目で実在を確かめた事も無い。ただ言える事は、運命や予言、或いは世界の終末などという大層なものを持ち出さなくても、凡人である自分の力ではどうにもならないものがこの世界には多過ぎるという事だ。そうしたものに翻弄されながら、自分は生きている。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。ある意味では、自分が何を思おうと、何をしようと無駄なのかもしれない。意味は無いのかもしれない。価値は無いのかもしれない。しかし、それでもここでこうして生きている自分がいる。それは何故か?その答えの一端を本作は提示している。それは凄くシンプルで、言葉にすると途端に陳腐化してしまうから、ここに記す事はしないけれど、「それ」を心のどこか片隅であったとしてもまだ持っているから、そして信じているから、自分はまだここにいられるのだろう。そう思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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天狼新星 SIRIUS:Hypernova

検索をしていたら、このブログに辿り着いてしまいました。
拙書についての素敵なコメント有り難うございます。サイバーパンク(?)の無骨な鎧に包み隠された「ナイーヴで本質的な部分」に触れて頂き、心の底から感動しております。
本作品は2003年初演の演劇を下敷きにはしておりますが、小説化にあたっての原動力となったのは、昨年の「3.11」に他なりません。余震の続く中、「数秒後に地震が来る!」と携帯電話やテレビ、ラジオが繰り返し『警告(←予言)』を送ってきます。その都度、鬱な気分にならざるを得ませんでした。その中で〈絶望〉せずに生きていくためには何が必要であるのか……それを考え続けていました。
「絶望は人を終わらせる…… 諦念は世界を終わらせる……」
そして、最後まで足掻き続けようと思ったのです。たとえ〈やがて世界が終焉する〉のだしても……

>はなださとしさん

……こんなネットの片隅で本の感想を書き連ねているだけのブログに、まさか作者ご本人からコメントを頂く日が来ようとは夢にも思わず、軽くパニックを起こしております。うわぁどうしようこれ。インターネットこわい(まんじゅうこわい風に)

と、ふざけてばかりでももったいないので、以下真面目に。

「生きて行く」という事は困難を伴うと思います。それこそ様々な壁にぶつかったり、社会に翻弄されたり、人間関係に疲れたり。また「3.11」の様に人間の力では抗い難い天災や、続く原発事故の様な人災に襲われる事もあるでしょう。それら大きな力の前に、個人は無力です。

自分が「3.11」後に感じたのもまた、こうした自分自身の無力さでした。自分は無力で、何も出来ず、何の役にも立たない。誰かを助ける事も、自分自身を助ける事も出来ない、状況に流されて行くだけの存在なのだと。そして悔しい事に、事実その通りなのです。正直、そんな存在ならいてもいなくてもいい。むしろいない方がいいかもしれない。そこまで考えて、ふと思ったのです。

『でも、自分はまだ生きて、ここにいる』

「震災で亡くなった方々がいるのだから、今命がある人間は何としても生きるべきだ」とか、「亡くなった方々の分まで生きるんだ」などという不遜な考えではなく、「自分なんかどうでもいい」とか「自分の存在に意味は無いんじゃないか」とか言っておきながら、それでもその命を投げ捨てる事も出来ずに、ここにこうして生きている自分がいる。その存在を発見した時、自分はまだ全てに絶望している訳ではないのだなという事に気付かされました。そんな事に今更気付く自分自身の鈍さも大概ですが。

今すぐに何かが出来る訳ではなくとも、何かを変えられる訳ではなくとも、全てに絶望していないのなら生きる事は出来る。足掻く事は出来る筈です。その姿は時に滑稽で無様ですらあるかもしれないけれど、逆に考えれば、それがどんなものであれ「自分の命を生きる」事しか自分には出来ない。ならばその出来る事をやるべきではないかと思うのです。最後まで投げずに。

……まあ自分の場合、こんな偉そうな事を言える立場でもない訳ですが、同じ様に「最後まで足掻き続ける事」を選んだ方がいる事を、とても嬉しく思います。長い長い道の途中で、思いがけず戦友を得た様な……などと言ったらご迷惑かもしれませんが。

コメント有り難うございました。

本当にインターネットは怖いです。
編集者からは「ネット上の批判(ツイッター含む)は見ない方が良い」と釘を刺されたのですが、時間に余裕が出来ると、つい検索かけてしまいます。まあ、凹んでしまって立ち直れなくなるほどの辛口のコメントもあれば、こっちが恥ずかしさで消え入りそうになるくらいの絶賛コメントもあるようです。読者のバリエーションって凄いんだなぁと感嘆しています。

小説を書いたのはは今回が初めてですが、芝居の脚本は幾つか書いています。
http://mygloomycrypt.org/
に脚本のDLサイトがありますので、興味がございましたら遊びに来て下さい(上演用のオリジナル台本であり、誤字脱字や致命的な整合性の悪さなどがてんこ盛りですが、ご容赦下さい)。
「最後まで足掻き続ける決断をした戦友」としてお待ち申し上げております(´ー`)ノ
プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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