無差別テロ化する『社会への復讐』(2)

 <関連項目>

 無差別テロ化する『社会への復讐』(1)

 YOMIURI ONLINE『ハローワーク職員に火、女逮捕「職もらえず」』

 昨日の記事の続きを書こうと思ったら『自分が職に就けない事を理由に、ハローワーク職員にガソリンをかけて火をつけた女が逮捕された』というニュースが流れていて正直げんなりした。悪いニュースは続くものだ。

 昨日の記事では、自分の人生が上手く行かない事に対する恨みを『社会』に対してぶつけようとする人間がいる事、更に、その社会とは『自分以外の全て』を指すのではないかという所まで述べた。

 今の世の中は複雑化している。現実に、アメリカで住宅バブルが崩壊した余波で日本の国内産業が大打撃を受け、結果として中小下請け企業が倒産に追い込まれている。こんな世界では、『各人が真面目にコツコツ一生懸命仕事をして積み上げた成果』などというものは少し不況の風が吹けば飛んでしまう。自分に全く非が無くとも、例えば取引先が不況のあおりを受けて生産調整をすれば、製造下請けや運輸業はその分干上がる。個人レベルの努力で出来る事には限界がある。

 昨日と同様に、不況による失業を自分の事として考えてみる。
 日本で生きて行くには金がかかる。金を手に入れる為には職を得て働くか、自ら起業するしかない。しかし、どちらも厳しい。一体誰のせいでこんな事になったのだろうと考えても、原因は判然としない。誰かのせいではなく、自分の努力が足りなかったのだと言われればそれまでだが、失職して明日をも知れぬ暮らしを余儀なくされる様な悪事を働いた覚えも無い。
 ふと、誰が悪いのだろう、自分の人生に立ち塞がるこの壁は何なのだろうという考えが頭をよぎる。

 例えばハローワーク職員に火をつけた女の中では、目の前にいるその人物こそが壁であり、怒りをぶつける対象になってしまったのだろう。だがこれは当然の事だが、ハローワークの一職員が個人的な権限で個人の就職を妨げるなどという事はあり得ないし、逆に就職を確約するなどという事も出来ない。よってこれは逆恨みも甚だしい。
 だが逆に考えれば、この世の中で『逆恨みではなく正当な恨みをぶつけるに値する対象』なんて本当に見付かるのだろうか。そんな明確な『自分の人生の敵』が存在し得るか?答えは否だ。

 例えば自分の首を切った会社経営者はどうだ?だが経営者も不況の犠牲になっている事は確かだし、雇用を守って会社が傾けば次は残る社員全てと経営者本人の番だ。では一部の大企業が不況のツケを下請けに回す事が問題なのか?だがこれももし上が倒れる様な事になれば事態が更に悪化するだけだ。全ては連鎖していて、責任追及に果てはない。
 こうして考えて行った結果、自分の不幸や境遇が誰のせいにも出来ないとして、それでも振り上げた拳の下ろし場所を探そうとする時、漠然と『自分以外の社会全て』にその責任を求めようとする空気が醸成される。当然要領のいい奴はそうなる前に『外国人移民』や『政治家・官僚組織』や『自分と主義主張の違う集団』や『自分でも叩けるレベルの社会的弱者』といった『自分が納得できる判り易い敵』を自分で見付ける。だが中には漠然とした社会への不満を、漠然としたまま吐き出す奴も現れる。

 『殺すのは誰でも良かった』というのは最近の無差別殺人犯の定番だが、彼等の言動は意味不明でも何でもなく、単純に社会に対する復讐心を手が届く範囲にいた適当な対象にぶつけたに過ぎない。それは他人から見ると全く無関係の人間が犠牲になった様にしか見えないが、彼等個人個人の中では、それは『社会への復讐』というストーリーの中にある必然として位置付けられていた筈だ。彼等にとって自分の人生の敵は『社会全体』であって、自分以外の人間は間違いなくその中に含まれるのだから。

 個人的な見解だが、こうした犯行を今すぐに無くす事は無理だ。

 例えば景気が上向いて国民の生活水準が底上げされ、非正規雇用者が正社員として生活の安定を得れば、事件の件数自体は減るだろうと思う。ただ複雑化した社会構造の中で生きる以上、『誰にも責任を追及できない種類の不幸』はこれからもあり続けるだろうし、ある日突然に自分がその不幸を背負わされる立場になる事が無いとは言えない。

 そうなった時、社会を恨む事無く、振り上げた拳を誰も傷付けずにそっと下ろす事が出来るかどうか。自分の中で耐える事が出来るかどうか。個人に出来るのは、せいぜいその程度の心構えだけなんだろう。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon