ここに解答は存在しない・加藤智大『解』

 

 秋葉原で通り魔事件を起こした加藤智大の手記が出版されたと聞いて、読んでみようと思った。以前、『何が彼を殺人者にしたのか』という本を読んだ事もあるのだけれど、自分も含めて、人は何か大きな事件が起こった時に、犯人が何故犯行に至ったのかという事を知りたがる。それは犯人の心理を理解したいという『共感』の欲求ではなく、自分が同種の事件に巻き込まれない為にという『自衛』の欲求だったり、自分が何らかの原因によって犯人と同じ様な事件を起こす側になってしまわない様にという『自省』の欲求だったりするのだろう。更に言えば、犯罪者が犯行に至った経緯を知る事で、自分と彼等との差異を明確化し、「自分と連中とは違う」という明確な線を引く事で『安心』を得ようとする部分もあるだろうし、自分を上位に置いて、彼等を変人や狂人、社会不適合者、人間のクズとして叩く事で自尊心をいくらか満足させたいという暗い欲求もあるのかもしれない。まあ理由はどうあれ、自分達は「知りたい」という欲求を満足させる為に情報を収集したり、精神科医等の分析をテレビで観たり、ワイドショーのコメンテーターが話す、当てになるのかならないのか微妙な推論を聞いたりする訳だが、今回の様に、犯人自らがその犯行に至った経緯を手記によって説明する事というのは稀かもしれない。

 ここで注意しなければならないのは、犯人自らが語った事が100%事実である保証は無いという事と、仮に犯人が嘘偽り無い事実を語っていたとして、本当にそれだけが犯行に結び付く直接的な原因だったのかは確証が無いという事だ。自分で自分の事を理解し、他者に説明するという事は思っているよりも困難な事だろう。本人ですら気付かない様な、そして他者に上手く説明出来ない様な心の動きが犯行の原因となっているケースも考えられる。だから自分が以下に書く事は、加藤智大が書いた手記に意図的な嘘はないが、事件の本質全てを網羅している訳ではないだろうと仮定した上での事だ。

 さて、こう言ってしまうのも何だが、自分は加藤智大という人間が起こした通り魔事件について、情状酌量の余地は無いと思っている。彼が幼少期に親からどんな扱いを受けたにせよ――本著の中で彼自身そう書いている通り――事件の責任は全て犯行を行った加藤自身にある。それを他人のせいにして良い道理はない。以上を踏まえた上で書く事だが、やはり「人間は生まれながらにして人間であるのではない」という事を、もう一度考え直してみる必要があるのではないだろうか。
 もちろん、人権という意味では人は生まれながらにして人間として扱われ、尊重される。しかし、社会性を持ち、他者とのコミュニケーションの中で生きる為に必要な能力は、後天的な学習や教育の中で身に付けるものだ。自分の意見を相手に伝える事、相手からの言葉を受け止める事、相手の気持ちを察する事、思いやりや気遣い。相手の立場に立ってものを考えるという想像力。そういったものは他者との関係性の中で学んで身に付けるものであって、先天的に人間に備わっている能力ではない。だからそうしたものを身に付ける為の教育やしつけが適切に施されない時、人は人間になれない。この手の実例として有名な『オオカミ少女』の話は後年の調査で事実ではない事が判明したそうだが、それでも「人は最初から人間として生まれて来る訳ではなく、成長する事で人間になる」という考えは間違ったものではない様に思う。

 この加藤の手記を読んでいると『間違った考え方を改めさせるため』という表現が繰り返し出て来る事に気付く。例えば会社の上司や同僚と意見が対立した時や、自分が不当に扱われていると感じた時に、相手の『間違った考え方を改めさせるため』にどうするかを考えた結果として「急に会社を辞める事で仕事に穴を開ける」とか「自殺予告をする事で自分を追い込んだ相手に精神的打撃を与える」等の実力行使に出る事が思い浮かんだ為に、それを実行したのだとする主張だ。だから秋葉原で人を刺した事も、それ自体が目的だった訳ではなく、自分が書き込みをしていた掲示板のスレッドを荒らした人間や、そこで自分に成りすましていた人間に対して、通り魔という大事件を起こす事で精神的打撃を与え、彼等の荒らし行為や成りすまし行為が間違っていたという事を思い知らせる為の犯行だったという事になる。言ってみればそれは自分の都合や主張を一方的に相手側に投げ付けているだけで、コミュニケーションとして成立していない。そうしている間に被害妄想と攻撃衝動だけが肥大化して、実力行使へと繋がって行く。恐らく、他者とのコミュニケーション能力の欠如がそうさせているのだろう。

 ネットの向こう側に存在する『敵』に精神的な打撃を与える為に大事件を起こさなければならない。そこで思い付いた、通り魔的な無差別大量殺人という行為を、ためらう事無く実行に移してしまう。その精神構造は尋常ではないと思うが、しかしそんな理不尽な理由でも、人は人を殺せる。無関係な人間を殺してしまえる。それは相手が自分と同じ内実を持った人間であるという想像が出来ないからだ。他人を人と認められないなら、人は虫を潰す様に人を殺せる。そして加藤がやった様な、相手に対する自己主張の為の道具として他人の命を利用する行為さえ可能にする。それは恐ろしい事だが、考えてみれば程度の差こそあれ、自分達も似た様な事をやりながら社会生活を営んでいる。誰もが犯罪者と同じ精神構造を持っているとは間違っても言わないが、少なくとも自分は彼等に石を投げつける事が許される程の善人という訳ではない。相手の事情より自分の事情を優先させる位の事はするし、自分の利益が相手の不利益になると知っていて自分の側を優先させる事もある。ただ、今はまだ自分の為に、自らの手で直接相手の命を奪う様な所まで行っていないだけだ。間接的に、無自覚に同じ様な事をやっていないという保証はない。

 何が彼を殺人者にしたのか。その問いに完璧な答えを出す事はきっと彼自身にも出来ないのだろう。もちろん他人である自分達に分かる事でもない。同様に、何が人を殺人者にするのかという問いにも明確な解答はない。それでもあえて言うならば、きっとそのきっかけは些細な事だったのではないかと思う。彼の苦悩というものがもしあったとして「そんなものは些細な事だ」という意味で言うのではない。自分の正気と狂気とを隔てている壁はそんなに強固なものではないのだろうという事だ。それを崩すきっかけは、きっと些細なもので十分なのではないかと思う。だから自分は時々こうして自分の壁の強度を確認してみるのだろう。そして自分はまだ大丈夫だと安心したいのだ。きっと。

 

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