この世界に刻まれた魂に・伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』

 


“ごく単純な確認から始めよう。
 私は貴方ではなく、私である。たとえば伊藤計劃は円城塔ではなく伊藤計劃であり、円城塔は伊藤計劃ではなく円城塔である。ここに二つの限界がある。まず第一に、文法的な一つの限界。Aは非AではなくAである。第二に、私はAの位置に代入されない。私にはAであるという記憶がない。にもかかわらず、私が我々ではなく私であること。そこでは何か途方もない詐術が働いている。”
 伊藤計劃&円城塔『解説』より引用(ハヤカワ文庫JA 伊藤計劃『The Indifference Engine』に収録)

 まず、故・伊藤計劃氏の絶筆である『屍者の帝国』が円城塔氏の手によって書き継がれた事に感謝を。

 「ありがとう」

 円城塔氏に。関係者の方々に。そしてもちろん、伊藤計劃氏にも。
 月並みな言葉だけれど、一読者として自分はもうこれしか言えない。思いの全てを伝えるには足りないけれど、自分の頭の中を隅々まで探してもこれ以外に述べるべき言葉は無い様に思う。相手に伝えようとしても伝えられない事はたくさんあって、自分達はその度にもどかしい思いをする。どんな言葉を並べても何かが足りない気がするし、的外れな気もする。それでも何かを言わなくては、相手に伝えなくてはと思う時、凡人である自分の中にあるのはこんな言葉だけだ。

 先に引用した『解説』にある様に、伊藤計劃は円城塔ではなく伊藤計劃であり、円城塔は伊藤計劃ではなく円城塔である。しかしながら両者の手による『屍者の帝国』が『私』の物語として結実した事は『途方もない詐術』というよりも、ひとつの『奇跡』に違いない。それも運や神がかりではない、人がその手で実現してみせた奇跡だ。本作の中には『虐殺器官』があり、『ハーモニー』があり、『The Indifference Engine』があり、『女王陛下の所有物』があり、『From the Nothing, with Love.』がある。伊藤計劃氏が遺した作品ひとつひとつが、円城塔氏の手によって読み解かれ、再構築され、『屍者の帝国』という作品に結実している。それは自分の作品を書く事よりも困難な事だろうけれど、円城氏は本作を見事に完成させてくれた。

 今自分の中には本作をこうして手に取り、読む事が出来た喜びがある。しかしまた一方で、本作が面白ければ面白い程、その裏側にある伊藤計劃氏の不在という寂しさが募る事も事実だ。それはもうどうしようもない。故人は蘇らないのだから。しかしまた一方で、伊藤氏の作品と、そのテーマは他の作家達の手によって形を変えて書き継がれて行くのだろうとも思う。だからある意味では伊藤氏はまだ生きており、これからも生き続けて行くのだと言える。そう、読者である自分の中にも。本心を言えば、そんな形ではなく伊藤氏本人に今も生きていて欲しかった。しかし一読者でしかない自分がそれを言う事は間違っているのかもしれないと思う。だから自分に出来る事は、こうして彼の物語を読む事だけだ。

 こう考えてみると小説を書くという事は、いずれこの世界から消えて行く自分というものを、世界の側に刻み付けていく行為だと言える。ここにこうした考えを持った人間が生きていたという事。その存在を刻み付けて行く行為。自分が消えた後も残り続ける痕跡。或いは証。物語は作者個人のものではなく、その作品に触れた人々の中に形を変えて伝播して行く。それは人間が有限な命という枷を越えて世界と相対して行く為の武器だ。過ぎ去っていく時間を超える為の武器だ。

 この『屍者の帝国』自体が他の作家達が遺した数多くの作品からの影響を受けて成立している様に、きっと伊藤氏の作品も後に続く者に影響を与え続けるのだろう。ならば読者である自分はそれら数多くの作品の中に形を変えて存在し続けるであろう氏の姿をこれからも探そうと思う。いつか来る再会の時を楽しみにしながら。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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