日常を物語に変えて行く視点・三崎亜記『廃墟建築士』

 

 文庫落ちをお待ちしておりました……ってわざわざ書くのもどうかと思うけれど。書いてて自分で苦笑した。実は随分前に『文庫化を待っている本』としてこのブログでも題名だけ挙げた事がある。今調べたら2009年の6月に書いた記事だった。

 話は本作とは少し逸れるのだけれど、自分は文庫本という奴が好きだ。まあ「結局本なら何でも好きなんじゃないの?」と言われればその通りなのだけれど、その中でも文庫本という日常生活に馴染み易いサイズがとても気に入っているのだ。
 まず単純に、単行本よりも小さくて家の中で場所を取らない事。次に、その小ささ故に携帯して出歩くのが苦にならない事がある。これからの時期、その気になればコートの内ポケットに入れて持ち歩く事も出来るし、鞄の中に忍ばせておくにも収まりが良い。だからだろう、友人が買っている川上稔氏の著作の様に「文庫本でありながら分厚すぎて文庫用のカバーがかけられない上に、雑に扱うと背表紙が折れる」レベルの本を目の当たりにするとちょっと複雑な心境になる。まあ「自分の洋服の内ポケットにはこの分厚さでも難なく入るよ」と言うなら常に携帯する事を止めはしないけれど。もしも街中を歩いていて銃で撃たれる様な事があっても、9mm弾位だったら止められそうだし。ただ自分は「これだったらノベルスのサイズにして上下二段組とかにした方がいいのでは」と余計な心配をしてしまう。

 閑話休題

 さて、なぜ自分が本作を文庫落ちまで待っていたかというと、三崎亜記氏の小説もまた文庫と同じ様に日常生活に馴染み易いものだと思うからだ。三崎氏の小説は以前にも何作か読んで感想を書いた事があるのだけれど、共通しているのは『日常から少しだけずれた世界観』を用いて展開されるという事だ。それは既存の言葉の意味をすり替えたり、通常は合わない言葉同士を組み合わせたりする事で行われている。

 例えば本著の表題作である『廃墟建築士』にしても『廃墟』と『建築士』の二つを組み合わせて『廃墟を専門に新築する建築士が存在する世界』という架空の世界を作り上げている。廃墟と建築士。どちらも現実に存在する、それ単体では何の変哲もない言葉であるにもかかわらず、二つが組み合わせられた時に不思議な広がりが出来て行く。読者は『廃墟建築士』という言葉から「廃墟を建築するってどういう事だろう。それを仕事にする廃墟建築士とはどんな存在なのだろう」と想像力を刺激される事になる訳だけれど、全くの造語ではない既存の言葉の組み合わせであるからこそ、自分達が生きている現実世界との『地続き感』が損なわれる事無く、読者は自然に作品世界に足を踏み入れて行く事が出来る様になっている。そして、そうした手法を用いて描かれる物語の主題もまた、普遍的なものだ。

 普遍的であるからこそ、自分達が日々の暮らしの中で特に注目もせず流してしまっている部分。本当は見えている筈なのに見ていない部分。わかった振りをしていながら、本当は理解していない問題。三崎氏の作品はそんな自分達の日常にアンダーラインを引いたり、付箋を貼ったりする様にして自分達がそれらに気付くきっかけを与えてくれている様に思う。この現実の中に、この日常の中に存在する物語に気付く為の方法を示してくれているのだと。だから自分は文庫化された本作を持って日常の中を歩いてみたいと思う。そこには何か今まで気付かなかった様な、忘れていた様な、或いは目を逸らしていた様な物語があるのかもしれないから。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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