背負った罪は罪のままでも・紫藤ケイ『ロゥド・オブ・デュラハン』

 

 『バイオハザード6』とiPod弄りにかまけていたら本を読む速度が落ちに落ちて、やっと今日になって本作を手に取った次第。面目ない。ただ、丁度バイオハザードをやっていたから、という訳でもないのだけれど、『死術』を操る『死術師』と、死術によってその存在を捻じ曲げられた、本来死すべき者達を確殺する精霊デュラハンの物語は色々と考えさせられるものがあった。単純にアンデッドを滅殺する存在ではなく、死者の声を聴き、死術に囚われた魂を開放する存在として描かれるデュラハンの姿は、かつて冲方丁氏が『カオスレギオン』で描いてみせた世界観とも通じる部分がある。

 さて、本作は出版元からもダークファンタジーとして宣伝されているのだけれど、自分はそこまで言う程ダークな部分は無いのではないかと思う。確かに登場人物達の中には壮絶な死に方をする者もいるし、容赦ないといえば容赦ない部類の物語ではあるのだろうけれど、物語の本質的な部分、物語の核心になっている部分では、本作は常に人間の中にある『希望』や『善性』といったものを志向していると思うのだ。

 この物語に登場する精霊とは、強い念を抱いた人間が、人間という存在から逸脱し、昇華した存在だという。告死の精霊デュラハン=リィゼロットもまた、彼女の過去に起こったある出来事によって精霊となった訳だけれど、そこにどの様な過ちや罪があったとしても、またその罪が決して消えず、償う術もないものであったとしても、彼女は生きるべきなのだと、この物語を通じて作者は言っているのではないか。自分達もまた、そうである様に。

 既に人ではなく精霊と化した彼女が『生きる』事は、人として『生きる』事からはかけ離れてしまっているのだろう。しかし、そのあり方は現実を生きる自分達に当てはめて考える事が出来る。自分達もまたその多くが取り返しがつかない様な過去を抱えて生きている訳だけれど、その失敗や後悔、もっと言えば罪を取り消す事は誰にも出来ない。殺人というと極端な例になってしまうが、例えば身近な所ですぐに思い付くのは『いじめ』の問題だ。いじめっ子がその後どんなに自分の行いを悔いて謝罪し、心を入れ替え、善人になったとしても、いじめられた側の傷は消えない。自らいじめ行為を行った者。それに加担した者。見て見ぬ振りをしてしまった者。立場は違えど犯してしまった過ちを無かった事にする事は出来ないし、許される事でもないだろう。それでもなお、人生は続く。

 各々の罪。各々の過ち。それらが決して消えない重荷であるならば、その先の生に対して、自分達はどう向き合うのか。これはきっと、そういう物語だ。その中で作者が放つメッセージは、ダークファンタジーというよりも人間賛歌の様ですらある。

 自分達は歩き続ける。過ちは過ちのままで。罪は罪のままで。「それでいいのか」という問いに答えてくれる者はいないのだとしても、迷いながらでも、死を告げられるその時が来るまでは。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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