歩き続けるという事・平山夢明『ダイナー』

 

 結構ハチャメチャな小説ではある。それでも読み終えてみると何だか妙に清々しい気分になれる、不思議な作品だった。

 主人公のオオバカナコは、30万円の報酬に釣られて携帯闇サイトのバイトに手を出した挙句、仕事に失敗して雇い主ともども拉致され、人身売買で組織に売り飛ばされる事になる。買われた先であてがわれた仕事は、ある会員制ダイナーで働く使い捨てのウェイトレス。何故『使い捨て』かといえば、そのダイナーは組織と繋がりのある殺し屋専用の店だからだ。その店に務めたウェイトレスの内、ある者は客に殺され、ある者は店主に殺され、これまで無事に生き延びた者はいない。使えないと判断されれば殺されるし、客の機嫌を損ねても殺される。そして客に気に入られ過ぎても戯れに殺される。そこは言ってみればダイナーの姿を借りた地獄だ。
 店主にして、たった一人で調理場を仕切る元殺し屋のボンベロや、客として店を訪れる数々の殺し屋達は皆クセのある奴ばかり。そんな中で一般人のオオバカナコは生き残りをかけた綱渡りを始める。

 あらすじとしては荒唐無稽な話に聞こえるが、これがなかなか考えさせられる。
 自分は『凡人』を名乗る位には平凡な人生を送っているつもりだけれど、それでも日々の暮らしは大変だ。しかしこの国で暮らす限り、その大変さというものはある程度保護された上での大変さである様に思う。なぜなら、少なくとも自分はこれまで「今判断を誤ったら殺される」という様な極限状態に叩き込まれた事は無いからだ。
 少なくともこの国では、生き残る為の努力を個人でしなくとも、ある程度は周囲の環境が守ってくれる。それは憲法や法律だったり、社会制度等のセーフティーネットだったりするが、自分達はそうしたものの恩恵を得る為に、ある程度社会に従属して生きる事を要求される。自分達を守る社会秩序の構成員である為に、決められた掟に則って生活をして行く訳だ。しかし裏を返せばそれは自分達が社会のルールからはみ出した途端にあらゆる庇護を失うという事でもある。

 この物語でオオバカナコは社会秩序の及ばない世界にドロップアウトする。それは人が金で売買される世界であり、人殺しが職業として認められた世界であり、自分の力だけを頼りに生き延びなければならない世界だ。誰も自分を守ってはくれないし、明日の命の保証すら無い。判断を誤り、相手との駆け引きに敗れれば失うのは自分の命だ。しかし、そんな状況で自分の力と機転だけを頼りに勝負に挑み、何とか生き延びようとする主人公の姿は妙に魅力的に映る。それはまるで野生動物を見て感嘆する時の様な感覚だ。

 自分が束縛されていると感じる時、自由に生きている人間を見ると羨ましくなる。しかしその自由は、社会に従属し、束縛される事で保証されている日々の安寧を捨てた先にあるのかもしれない。自由に生きるという事は、失敗しようがどん底に突き落とされようが自己責任でどうにかしなければならないという事でもあるのだから。まあ「隣の芝生は青く見える」というのと同じで、どんな生き方を選んでも楽に生きて行ける訳ではない、という事なのだろう。きっと。

 社会や周囲の環境に自分を合わせていく生き方がある。それを良しとせず、他人を頼らず、自分で自分の生き方を決めていく生き方もある。結局はどんな生き方をしていても、生きるという事はそれなりに大変で、骨が折れる。どちらが正しいとか、どちらがより良い生き方だとか、自分にはそんな判断は出来ない。自分に言える事があるとすれば、どちらにしてもその道はまだ遠くまで続いて行くという事だ。そんな風に毎日を積み重ねて、自分達はどこまで行くのだろう。いや、どこまで行けるのだろうか。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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