不在という空白を胸に・杉井光『終わる世界のアルバム』

 

 今までも何度か書いてきたけれど、自分は終末ものにはこだわりが、というか執着がある。終末ものといっても色々な作品があるけれど、本作は本当に静かな形で『終わる世界』を描こうとしていて、その世界観が物語と相まって作品全体に独特の透明感を与えている。

 その世界には人の『死』が存在しない。

 もちろんそれは人が永遠に生きるという事ではない。人は病気でも死ぬし、事故でも死ぬ。寿命で死ぬという事だってある。しかし本作では、そうして死んだ人にまつわる記録や記憶の全てが世界から消えてしまうのだ。それは死者の痕跡に誰かが消しゴムをかけてしまったかの様に。
 例えば自分の同級生が死んでしまったとする。すると遺されたクラスメイト達や自分の記憶から、死んだ同級生の記憶は消え去り、最初からそんな人間はいなかったかの様に書き換えられてしまうのだ。いつの間にか教室から消えている机。その空白に疑問を抱く事すらなく、遺された自分達は死者の事を忘れてしまう。そんな世界。もう誰も人の死に悲しむ事がない世界。人の死に悲しみを抱けないという悲しさで満ちた、終わる世界。

 そして、やがて死を迎えなくても唐突に人が「消えてしまう」様になり、世界規模で人口は減少の一途を辿っている。その「人が消える」という現象や、消えてしまった人の記憶や記録がなぜ世界から全て消えてしまうのかという事について、本作は特に説明しない。何が原因で、いつからこんな事になってしまったのか。消えてしまう人と遺される人とを分けるものとは何か。それに答えられる人間はいない。ただ世界から少しずつ人が消えて行くという事実があるだけだ。このままだと、人間はいつか一人残らずこの世界から消えてしまうのかもしれない。それでもまだ何とか社会が維持されている世界で、人々は生きている。

 本作の世界観については読む人によって様々な感想があるだろう。誤解を恐れずに言えば、自分としては急所に刃物を突き込まれた様な感覚があった。

 自分も親しい人との死別を経験している。例えば祖父母とかね。自分にとって大切な人と死別する事は当然辛い事だけれど、それよりももっと辛い事はその大切な人との記憶もいつかは忘れてしまうという事だ。
 どんなに「忘れたくない、忘れずにいよう」と思っても、記憶は自分でも気付かない間に薄れてしまう。その人がどんな声で話していたか。その人がどんな風に笑ったか。泣いたか。怒ったか。その人と交わした言葉も、一緒に歩いた風景も、やがて消えてしまう。ではそうして大切な記憶を失った代わりに何を頭に詰め込んできたのかというと、それは愛想笑いの作り方や辛い事のやり過ごし方といった、はっきり言ってガラクタとしか思えない代物だったりする。そうやって忘れたくない事を忘れて、覚えていたくもない様な知識や記憶を抱え込んで、自分は、自分達は生きている。

 『人が本当に死ぬ時は、その人の事を覚えていてくれる人が誰もいなくなった時だ』

 そんな言葉を耳にした事がある。誰の言葉かは忘れてしまったけれど。
 自分達は死別した人の事を覚えていようとする。それはその人が本当に死んでしまわない様にと願うからなのだろうか。その人がそこにいてくれた事。その人が生きていた証、その人と自分との繋がりが消えてしまわない様にと願うからなのだろうか。でも自分は知っている。自分が、そんな大切なものさえ忘れてしまえるという事を。

 では、そんな自分が忘れずにいる事ができるものとは何だろう。自分は思う。それはその人がもうここにいないという『空白』しかないのではないだろうか。
 大切な人が失われた事で出来る空白。その人がいてくれた空間。自分の心の中に確保されていた『その人の為の場所』が『空白』になってしまった事への悲しみ。喪失感。自分の中に最後まで残っているものは、きっとそんなものだと思う。ではその『空白』を胸に、自分はどこまで行けるだろうか。それはまだ、わからないとしても。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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No title

黒犬さん、はじめまして。
江波光則『樹木葬』、上遠野浩平『しずるさん』シリーズ、紅月いづき『サエズリ図書館のワルツさん』など、読書傾向がぼくと似通っていたので歓喜のあまりコメントをしてしまいました。
中でも好きな作品がこの『終わる世界のアルバム』です。
他にも同作者の『神様のメモ帳』という作品もあり、これも非常に思い入れのある作品です。
僭越ながら、未読でいらっしゃるなら是非に。

大学卒業後すぐ、ぼくも親しい人間を亡くしました。
当時は悲しみとは違う、埋め合わせようがない鉛のような喪失感・無気力感が全身を覆って、とても社会に出られる状態ではありませんでしたが、あれから数年。その感覚は少しずつ薄れていって、何とか働いて、ぎこちないけど、かろうじて笑えるようにはなってきました。
それは人が生きていくための防衛手段で、優しいことではありますが、悲しいことでもあります。

残酷なことですが、人が誰かと関わって生きていく限り、「誰かの死」という喪失の連続からは逃れられません。不快な気分にさせてしまったらとても申し訳ないんですが、ぼくのような友達の少ない人間がまず先に喪うのは肉親でしょう。その時は深く落ち込むでしょうが、その記憶もいつかは色褪せていって、無様でも、不器用でも、たぶん人が楽して生き続ける裏技なんてないから、悲劇は悲劇のままで、それを抱えて生きていくのでしょう。
自分に「終わり」が訪れる、その時までは。

>タウロニオさん

コメント、ありがとうございます。
お薦め頂いた『神様のメモ帳』は未読でした。相変わらずの偏った読書傾向というか何というか。今度読んでみようかと思います。

『終わる世界のアルバム』については、まず自分の中に『終末もの』に対する執着というか、偏愛がありまして、そこからの流れでアンテナに引っかかった形です。それもこれも大学時代に『終末の過ごし方』というPCゲームに出会っていなければ……という昔話があったりする訳ですが、長くなるので割愛します。(苦笑)

さて、気を取り直して真面目な話を。
人の死というのは、常に遺された者にとって大きな荷物だと思います。その死をどう受け止めるのか。そして、それから先の人生をどう生きて行くのか。自分は大学で宗教を専攻していたのですが、つまるところ宗教というものも人がいかに他者の死を受け止め、その後の自らの生を全うして行くかという問題に対する、ひとつの指針である様に思います。特に原始仏教の場合、その内容は非常に哲学的であり、宗教というよりも仏陀その人による哲学といった印象を強く受けます。

「人はいつか死ぬ」という事は「自分もいずれ死ぬ」という事に他なりません。他者の死について考える事は、自らの死について考える事と同義であり、死について考える事は、翻って「いかに生きるか」について考える事でもあります。これを『死生観』と言ったりもしますが、仏陀をはじめ、大昔の人々も、今を生きている自分達と同じ様に悩み、暮らしていた。そう考えると、何だか自分が思い悩んでいるあれやこれやが、自分だけの悩みではなく、古代から連綿と続く『人類にとっての宿題』の様な気がして、少し楽になれる様な気がしたものです。そしてそれは、小説や物語の上でも同じ事である様に思います。

何も小難しい学問の形で捉えなくても、小説でもゲームでも、『死生観』について考える為の入り口はどこからでも良いと思います。またタウロニオさんがそうであった様に、親しい人を喪った者は、その後の自らの生について考えざるを得ないと言えるでしょう。落ち込んだり、無気力になってしまう事もあります。もちろん自分にも心当りがありますが、不思議なもので、そういう時って「自分はこのまま立ち直ってしまって良いのだろうか?」なんて考えてしまう事がありませんか?

大切な人が亡くなって、落ち込む時期が続いて、こんな事ではいけないのだろうな、なんて思いつつも、気が付くとその人との記憶を反芻している。未練とか、結局伝えられなかった言葉とか、そういう自分の中に留まっているあれやこれやに折り合いを付けて、立ち直ってしまったら、前を向いてしまったら、振り返る事をやめてしまったら、何だか大切な記憶が無くなってしまう様な気がする。一度そう思ってしまうと、立ち直りには更に時間がかかる気がします。自分もそうだったので。

コメントを頂いた『終わる世界のアルバム』の感想の中で、自分は『空白』という言葉を使いました。薄れていく記憶とか、色褪せて行く思い出の中で、喪った人の輪郭の様に自分の中に残り続ける喪失感を言い表す為に、他に妥当な言葉が思い付かなかったのだろうと思います。ですが今は、そうした空白を抱えて生きて行く事は誰もがやっている事で、恥じる事でも悔いる事でも無いと考える様になりました。

よく「心の空白を埋める」という様な言い回しを聞きますが、自分はこの『空白』については、無理に埋める必要は無いのだろうと思っています。喪った誰かの代替品が決して存在しない様に、その空白はそのままにしておくべきなのだろうと。忘れてしまう自分を責める様な考えや、代わりに何かを詰め込んでその空白を満たそうとする行為は、少なくとも自分の場合、あまり良い結果を産みませんでした。

思い出を忘れてしまう悲しさを受容する事。受け止め、飲み込んで行く事。それでもその人がそこにいてくれた『空白』だけは持ち続ける事。自分もあまり器用な方ではないので「上手くこなせている」なんて口が裂けても言えない訳ですが、時々躓きながらも、まだ何とかやっています。そして、それで良いのだろうと思います。

何だかまとまりがない文章になってしまいましたが、要するに「お互いにこれからも何とかやって行こうよ」という事が言いたかったのです。そして、また本の話でもしましょう。その時はまた、よろしくお付き合い下さい。では。
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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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