あなた無しで生きる明日を・宇多田ヒカル『桜流し』

 

 もうすぐ今年が終わる。

 昨年もそうだったけれど、震災後の年越しには後ろ髪を引かれる様な思いがある。それは恐らく、あの震災が少しずつ過去のものになって行くという事に対する抵抗感なのだろう。
 震災からの復旧、復興という言葉が繰り返される中で、先の見えない原発問題を抱えたままのこの国はどこに向かおうとしているのか。被災地の外に住む人々から震災に関する記憶が薄れて行く中、ある意味でまだ震災の延長線上を生きている自分は呆然と立ち尽くしている。もちろん、そんな自分の事情など斟酌せずに時間は過ぎて行くけれど。

 「過去ばかり振り返っていては生きて行けない」「過去は過去として、未来を見据えて前向きに生きなければならない」と言う人がいる。それは正しいのだろうと自分も思う。でも、他の人にとっては既に過去のものとなっている事でも、それを抱いたまま現在を生きている人間もいるのだ。その事を知って欲しいし、許して欲しいとも思う。
 幸いにも自分はこの震災で親しい人との死別を経験せずに済んだ。しかし中には家族を失った人だっている。その記憶を忘れずにいようとする事、過去を振り返ってしまう事、そうしなければこれから先に進めない事を許して欲しい。過ぎて行く時間は誰にも巻き戻せないとしても。

“もし今の私を見れたなら
 どう思うでしょう
 あなた無しで生きてる私を”

 『桜流し』より

 少し昔の話をしようと思う。少し、といってももう20年以上前の話だが。
 中学生の頃、同級生が亡くなった。交通事故だった。
 今30代の自分は、その同級生の2倍以上の人生を生きている事になる。死んでしまった同級生と自分との間に、生死を分ける程の違いがあったとは思わない。同級生を襲った災難が自分に降り掛かっていたとしても何らおかしくはなかった。しかし結果として事故に遭ったのは同級生であり、自分ではなかった。
 今思えば、自分はその時の記憶を抱えたままでこれまで生きて来たのだろう。常に後ろを振り返りながら、生きて来たのだろう。過去を過去にできないままで。だから今回の震災で大切な人との死別を経験した人達も、まだその別れを過去のものにできないでいるのだろうと思う。決してその人達の『気持ちがわかる』などとは言えないけれど。

“もう二度と会えないなんて信じられない
 まだ何も伝えてない
 まだ何も伝えてない”

 『桜流し』より

 もう伝えられない言葉を抱えたままで、忘れられない思いはそのままで、自分達はこれからも先へと歩いて行く。仮に自分の足で歩けないままでも、時間がその背中を押してくる。そうやって自分達は否応なくどこかへと運ばれて行くのだろう。今年がもう少しで去年になる様に、震災もまた確実に過去の出来事になって行く。そんな時間の流れの中で自分に出来る事があるとすれば、それは自分がまだ生きているという事の意味を考え続ける事だけだ。「亡くなった人の分まで生きる」という言葉をよく耳にするけれど、少なくとも自分にはそれは出来ないから。

 今日は昨日になり、今年は去年になる。そしてやって来る明日が今日になり、来年が今年になる。今日が一年の節目というだけで、生きるという事は本当にただそれだけの繰り返しなのかもしれない。でも自分はそこに何かの意味があって欲しいと願う。それが無駄でない事を願う。その願いが叶うかどうかは分からないけれど。

 

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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