現在に抗うという事・深見真『PSYCHO-PASS 下』

 

 上巻の感想はこちらに。

 さて、作品の概要については上巻の感想を読んで頂くとして、この下巻では上巻で謎のままとされていた『シビュラシステム』の実体が明らかにされる。社会に生きる全ての人々の生き方を規定する巨大で強力なシステム。善悪の境界を引き、個人の価値を判断する冷徹な構造。その実体が何であるかという事が、この作品が用意した大きな謎だった。その謎に対する回答、言い換えれば『オチ』をどうするかという事が作品全体の方向性を決定付ける大きな問題だった。

 今下巻を読み終えて、自分もその謎に対する答えを知る事になった訳だけれど、自分も作中の登場人物達と同じ衝撃を受けたかといえば、実際はそうでもない部分がある。全てが予想の範囲内だったとは言わないけれど、予想を遥かに超えていたという事もない。しかしそれは決してマイナスという意味ではなく、それだけ本作が用意した世界観が現実と地続きの「リアル」を持っていたという事ではないかと思う。

 これだけのシステムを運用するにあたって、そこに人間の意志が全く介在しないという事は不可能だろうと思っていた。システムが公平公正である為に、特定の個人の思惑が介入する余地があってはならないとはいえ、どんなに巨大なシステムであろうと、最終的にその制御を握っているのは人間だろうと。それは半分正解で、半分は間違っていたのかもしれない。そこに人間はいた。しかし彼等は既に人である事を捨てていた。言ってみればそんな感じだろうか。

 下巻を読むまで、本作について自分が抱いていた興味の中心は『シビュラシステム』と呼ばれるものがいかに善悪を判断しているのかという事であり、いかに個人の資質や適性を判断しているのかという事だった。自分が知りたいのはその基準だった。システムが個人の善悪や資質を判断し、それに応じた社会的地位を与えるというのなら、個人の価値を決定する因子とは何なのか。その基準は本当に正しいのか。それは信じるに足る、自分の人生を預けるに足るものなのか。しかし、今自分の興味はそこから少しずれた所にある。

 この下巻では、シビュラシステムの脆弱性とでも言うべき問題が浮き彫りになるとともに、システムそれ自体が持つ醜悪さと、それに依存する事で成立してきた社会の脆さが明らかにされる。世界に生きる人々と社会全体が依存しきっているシステムに無視できない問題点があると知った時、人々はどうするのか。どう生きる事を選択するのか。自分の興味はこちらにシフトして行った。そしてそう考える時、本作における『シビュラシステム』には、現実に存在する様々なものが代入できるのではないかと気付く。

 この世界には「様々な問題点があるとわかっていても、それが社会全体にとって必要不可欠だとされているもの」が多数ある。本当に全ての人々にとってそれが必要不可欠かどうかはともかくとして、より多数の人々から必要不可欠だと認識されているものが。『シビュラシステム』という言葉の代わりに、それを代入してみればいい。そうすると例えば、こんな文章が出来上がる。


“『再確認しましょう。常守朱、あなたはシビュラシステムのない世界を望みますか?』”
“歯を食いしばって、考える――シビュラシステムが存在しない世界?
 生まれてきたときからずっと信じていたものを、今ここで急に捨てることなんて――。
『そう、うなずこうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を否定できるほど明瞭で確固たるものではない。あなたは現在の平和な社会を、市民の幸福と秩序による安息を、何より重要なものと認識している。故にその礎となっているシビュラシステムを、いかに憎悪し、否定しようとも、拒絶することはできない』”

“『再確認しましょう。   あなたは原子力発電のない世界を望みますか?』”
“歯を食いしばって、考える――原子力発電が存在しない世界?
 生まれてきたときからずっと信じていたものを、今ここで急に捨てることなんて――。
『そう、うなずこうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を否定できるほど明瞭で確固たるものではない。あなたは現在の平和な社会を、市民の幸福と秩序による安息を、何より重要なものと認識している。故にその礎となっている原子力発電を、いかに憎悪し、否定しようとも、拒絶することはできない』”


 ……ちょっと悪趣味で不謹慎な行為だったかもしれない。気分を害された方がいたら申し訳ないと思う。しかし何も原子力発電に限った事ではなく、『シビュラシステム』という言葉の代わりになるだろうものが現実世界には溢れている。それは「在日米軍基地」かもしれないし、もっと他の何かかもしれない。現実世界で所謂『必要悪』だとされているものの多くはこの例に当てはまるだろう。「そこに問題がある事はわかっている。でも、今すぐにそれを止めたり、投げ捨ててしまう事は出来ないと思っている人もまた一定数いる」というもの。この現在の社会を維持する為に、多くの人々が依存しているもの。その裏側が明らかにされた時に、自分達がどう生きるか。どうやってその必要悪に抗うか。それが本作の持つもう一つのテーマなのではないかと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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