この世全ての支配者達へ・上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin1.』

 

 『支配する』

 言葉にすると酷く単純に思えるが、その実、本当の意味で何かを、或いは誰かをを支配するという事がどういう事なのかと考えてみると、それは酷くぼんやりとしてしまっていて掴み所がない様にも思える。他人を支配するという事は、他者よりも上に立つという事であり、自分の存在や意見を無視できないものとして他者に認めさせる事でもある。それは他者に対して自分の影響力を拡大して行くという事だ。自分の意見や価値観によって他者を動かす事。それは気分の良いものなのだろうか。

 自分の様な凡人は『支配する』側の気持ちよりも『支配される』側の気持ちを思い浮かべる事の方が得意だ。いや、思い浮かべる必要すらなく、自分達は日々それを噛み締めていると言ってもいい。特定の支配者の姿はそこにはないかもしれないけれど、自分達を日々束縛するものは巷に溢れている。

 最も身近にあるものは経済かもしれない。もっと露骨に『金』と言い換えてしまってもいいだろう。例えば社会人である自分は、生きる為、生活の為に会社に行き、仕事の対価として給与を受け取る。その為ならば多少のストレスや会社に対する不満、人間関係の軋轢などは飲み込んで行かなければならない。首を切られて収入を失えば生きて行く事が困難になる事は目に見えているから、嫌な事でも我慢する。本当はやりたくない事も、仕事の上で「やれ」と命じられればやるだろう。明確な犯罪行為は別としてもね。それは上司に支配されているとも言えるし、ひいては会社に、或いは資本主義経済の仕組みに支配されているとも言える。「お金があれば何でもできる」社会は「お金が無ければ何もできない」社会でもある。だから自分達はその金を得る為の仕事に縛られ、支配される事になる。生活の為に仕事をしていた筈が、いつの間にか仕事の為に生活をする様になる。物事の順序が逆転してしまう。人によってはそんな生き方を『社畜』などと呼んで嘲笑するけれど、多かれ少なかれ自分達は皆経済という仕組みに従属している。自分にしても、上司にしても、社長にしても同じ事だ。自分達は皆支配者ではなく、経済という支配者に従属している存在だ。経済に支配されていると言い換えてもいい。そうやって支配されている者達の中で、自分より少し上の立場にいる人間がまるで支配者の如く振舞っているだけで、辿って行くと彼もまたより上位の誰かに支配されていたりする。きっとどこまで辿って行っても真の支配者、真の頂点には辿り着かないし、もしかするとその権力構造はループしているのかもしれない。まるで笑えない冗談の様な世界だ。

 俯瞰してみれば皆が同じ様に支配されている中で、自分よりも少し上の立場にいるものが支配者面をしてあれこれと指図してくる。けれどその似非支配者の上にも彼を支配する立場の誰か、或いは何かが存在し、彼を支配している。
 特定の誰かではない、ある価値観。あるルール。皆が正しいと信じて受け入れている基準。それが自分達全てを支配しているものの正体なのだろう。自分達を縛っているものはきっとこうした社会構造で、しかしその社会構造を作っているのも、そこに参加しているのも自分達なのだ。自分達は皆支配されているが、それと同時に支配者の側に立ってもいる。自分達は時に虐げられ、また同時に誰かを虐げる側に回る。自分達は何者かに支配されると同時に、他の誰かを支配する……こういうのも自縄自縛と言うのだろうか。どこまで行っても出口が無いし、そこから逃れる方法も今は思い付かない。嫌になるし、疲れる。全てを投げ出して終わりにしてしまった方が楽な気さえしてくる。しかし、この世界がそんなものだと知った上でなお自分は、自分達は、まだ生きている。

 きっとその事に大した理由なんかない。
 夢とか希望とか、そんな綺麗なものじゃない。
 もっと打算的で、もっと消極的で、もっと淀んでいる何か。絡んで解けない糸の様な自分達の関係。支配や束縛。自分達をかろうじてこの世界に結び付けているもの。それを無理矢理に綺麗な言葉で言い表すなら、きっと『絆』という言葉になるのだろう。

 もっとも、それが救いだとは限らないけれど。

 (で、結局この無駄に長い文章は全部お前の愚痴なんだよな?)
 (まあいいじゃん。時には愚痴を吐き出す自由くらいないとね)

 BGM“The World I Know”by Collective Soul

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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