世界は暗黒かもしれなくても・浅井ラボ『されど罪人は竜と踊る 12 The One I Want』

 

 『されど罪人は竜と踊る』(以下され竜)といえば、『好きなライトノベルを投票しよう!! 2012年下期』の企画に参加した際にも1票入れた、浅井ラボ氏の代表作だけれど、その時の紹介文で「早く続き出して下さい」と書いておいたらちゃんと続きが出たので嬉しい限り。作家にとってはもちろん、ライトノベル好きにとっても「シリーズものがちゃんと続く」というのは大事だと思う。

 さて、本作のあらすじ紹介等はwikiにでもぶん投げるとして、以前に少し書いた事がある通り、浅井ラボ氏といえば『全日本暗黒ライトノベル連合総長』という肩書きを持つ暗黒ライトノベル界の雄である。何をもって暗黒ライトノベルと定義するのか、その詳細は読者毎に意見が分かれる所かと思うが、その『暗黒』という言葉の通り、暗黒ライトノベルとはおおむね以下の様な特徴を持つものとされる様だ。

・主要登場人物や女子供であっても容赦なく殺される。(しかも死に様が惨い)
・人の死を描く直接的なグロ描写に留まらず、登場人物が精神的に追い込まれる等、あらゆる意味で『人が壊れて行く』シーンが頻出する。
・ストーリーやテーマ、世界観が重く、鬱展開、バッドエンド上等。

 まあ、他にも特徴はあるだろうけれど、あまり挙げて行くと書いている方も気が滅入るのでこの辺で。

 では、暗黒ライトノベル界の頂点に総長として君臨する浅井氏の作品はどうか、という所なのだけれど……まあ大半が当てはまるかと。さすが総長の肩書きは伊達じゃない。しかし、浅井氏と同じく『全日本暗黒ライトノベル連合特攻隊長』の肩書きを持つ、藤原祐氏の『煉獄姫』の感想でも書いた通り、自分はこの『暗黒ライトノベル』と言われるジャンルの小説はそこまでドス黒くて救いが無い物語ばかりだとは思わない。もちろん本作についてもそれは同じだ。まあ自分の場合、同じく暗黒系の物語を展開する事を得意とする虚淵玄氏が手がけた『沙耶の唄』のラストをして、あれはハッピーエンドだと信じて疑わない様な人間なので、一般の読者と感覚がずれている可能性はあるけれど。

 さて、自分が『され竜』を好む理由は、物語の中心にいるのがガユスである、という事だ。

 本シリーズを未読の方にもわかる様に若干説明するならば、『され竜』とは一種の『剣と魔法』的な世界観を軸にした群像劇だ。(正確には『剣と化学』かもしれないけれど)
 主人公は、登場人物紹介の欄に「人間の攻性咒式士。死力を尽くしてなお公私ともに連戦連敗」などと酷い事を書かれてしまう位、不運を呼び込む体質であるガユスと、その相棒役を務める、巨大な竜をも屠る大剣、屠竜刀を持つ美貌の剣士、ギギナ。本作には数多くの魅力的な登場人物達がいるが、その中でもメインとなるこの二人のバディものとしての側面が本作にはある。

 戦いの際、前衛を務めるギギナは常により強い敵との戦いを欲し、絶望的状況での戦いでこそ歓喜するという、ストイックな性格をしている。(椅子を偏愛するというコミカルな一面もあるが)一方、後衛として前衛を援護しつつ戦うガユスは常に一歩引いた立ち位置で戦況を分析する。また戦闘以外にも知略を用いた駆け引き等を得意とする。
 この二人の主人公の内、どちらを物語の中心に据えるのか。そこに『され竜』の特色がある。

 常に強敵との戦いを欲するギギナの信条は、こう言っては何だが『ドラゴンボール』における孫悟空のそれであり、サイヤ人的な戦闘民族の思考だ。言い換えれば「俺より強い奴に会いに行く」という台詞で言い表される世界に生きている。その性格は置くとしても、強い目的意識を持ち、主義主張や行動に一貫性があり、生き方がぶれない、という点では往年の少年漫画の主人公的だと言える。

 一方、攻性咒式士として高いレベルの実力を持ちながら、ギギナと共同経営する事務所の経営問題に頭を悩ませ、進学塾の講師のバイトまで掛け持ちするガユスは、より一般人に近い感覚の持ち主として描かれる。戦いの中で助けられなかった者達や敵対した相手の事で思い悩んだり、自分の至らなさを責めたりもする。更に戦いの場を離れても、恋人との人間関係から塾の生徒との接し方まで悩みが尽きない。この社会のあり方に疑問を抱きつつも、若者の様な潔癖さで生きる事もできなければ、大人として全てを割り切る事もできない。そして社会のあり方そのものを変える程の力も無い一個人だ。

 ガユスとギギナ。この対照的な二人のどちらに焦点をあてるのかという時に、あえてガユスを選ぶ所に、本作に対する浅井氏の姿勢がうかがえる気がする。本作を一読するとまさに『暗黒ライトノベル』特有の救いの無さが目に付くかもしれないが、その中心にガユスという、悩みもがく人物を配置する事で、単なる救いが無い鬱展開の投げっぱなしや、過酷な現実問題に対する諦観だけがはびこる物語になる事を防いでいる。

 本当の意味での『暗黒』とは、その『暗黒』の中であがく事を止めてしまった先にあるのではないだろうか。本作を読むとそんな気さえしてくる。現実は、そして社会は時に無慈悲で、その中で生きる個人の事など一顧だにしないし、その社会のあり方を変えようとしても個人の力には限界がある。浅井氏は本作の中でガユスがあがいてみせる事=現実を生きる自分達がこの社会の中であがいてみせる事を、全くの無駄だとは描かない。むしろ、このどうしようもない世界の『暗黒』の中でいかに自分達があがいて行くかという事を執拗に描き続ける。

 本作で『され竜』は第一部完(編集部によれば)ということで、第二部ではガユス達もまた新たな道へ一歩踏み出す事になる訳だけれど、これから先も続くであろう彼等のあがき=自分達のあがきが、無駄ではないのだと思っていたい。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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