一人じゃないなら、歩いて行ける・天沢夏月『サマー・ランサー』

 

 読み終えて、「ああ、また夏が来るんだな」と、そんな当たり前の事を思った。
 この時期に出版されたという事が、作品にとっても良かったと思う。

 剣道界で勇名を馳せた祖父に師事し、小学生時代には名だたる大会のタイトルを総なめにして神童とまで言われた少年、大野天智。しかし高校に進学した天智は、もうかつての様に竹刀を握る事が出来なくなっていた。
 転勤族の父親の影響で転校を繰り返し、毎年違う学校の剣道部員として大会に出場し続けた為に『風来坊(バガボンド)』なる異名で呼ばれる様になった一方で、いつの間にか他の部員達との間に出来ていった心の溝と軋轢。中学時代から思う様に一本が取れなくなり、試合に勝てなくなって行った事。そして剣道を志すきっかけになった祖父の死。それらが壁となって、天智の行く手を阻む。高校でも剣道を続けるのか、それとももうやめてしまうべきなのか。どちらも選べないまま迎えた春、天智が出会ったのは剣道とは似て非なる競技『槍道』と、それに打ち込む少女、羽山里佳だった。

 いや、もうこういうあらすじを書くよりも、実際に冒頭を読んでもらった方が絶対に早い。この表紙に惹かれるものがあったら、間違い無くお勧め。
 小説というのは虚構で、悪く言えば嘘の世界なのだけれど、そうした虚構を使って、本当の青春というものを描く事は出来るのだな、という事を改めて知る事が出来た。きっと天智と同じ様に壁にぶつかったり悩んだりしながら、それでも前を向いて生きて来た人がいるだろう。挫折や後悔だってあっただろう。もしかしたら、今まさにそんな悩み多い学生生活の最中にいる若者だっているかもしれない。そういう人達に、本作が届くと良いなと思う。

 個人的には運動がからっきし駄目な奴だったので、学生の間に体育会系の部活動に打ち込んで大会優勝を目指した、なんていう経験は無いのだけれど、そういう人間でもこういうド直球で――槍道風に言えば真っ直ぐな槍の様に――描かれた青春小説を読むと感じ入るものがある。まあ最近は部活動というと体罰とかイジメとか暗い報道もあるけれど、仲間がいて、切磋琢磨しながら同じ目標を目指して行くという経験が出来る事はやはり良い事だろう。

 主人公の天智は剣道で壁にぶつかり、槍道というもうひとつの道に足を踏み入れる事になるのだけれど、やはり「これからはもう剣道は捨てて、槍道に全力で取り組もう」なんていう切り替えはすぐには出来ない。剣道に真剣に取り組んでいた分だけ、彼には心残りがあり、悩みがあり、迷いがある。槍道部への入部を決めてからも、彼は悩み続ける。真っ直ぐな槍の様になれない自分自身に焦り、苛立ち、失敗もする。剣道で挫折した様に、槍道でもまた自分の心が折れてしまうのではないかという恐れ。弱い自分への嫌悪感。それらがまた壁となる。

 傍から見ていると、そんな天智の姿は優柔不断な様にも思えるし、不甲斐なく見える事もある。「もっとしっかりしろ!」と苛立つ読者も多いかもしれない。でも、そんな天智を見守り、励ます仲間がいる。天真爛漫という言葉が道着を着て歩いている様な羽山を筆頭に、槍道部の面々は皆それぞれ性格は違っても「いい奴」ばかりだ。一人ではどうにもならない事だって、仲間と一緒なら何とかなるかもしれない。間違っても、失敗しても、心が折れてしまっても、もう一度立てるかもしれない。本作が描こうとするのは、きっとそういう仲間を持つ事の素晴らしさなのだろうと思う。

 根無し草の『風来坊』が、自分が根付く場所を見付けるまでの物語。多分本作の結末は天智にとってようやく見付けた、再出発の為のスタートラインだ。そこから飛躍して行くであろう彼の姿を見てみたい気もするけれど、本作の主題はそこには無いのだろう。本作は今、天智の様に壁にぶつかり、一人では立ち上がれなくなっている人々へのエールであり、彼等が立ち上がる事が出来た後は、現実を生きる各々の物語が待っているからだ。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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