平坦な戦場でぼくらが生き延びること・宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』

 

 本の帯で『伊藤計劃が幻視したヴィジョンをJ・G・バラードの手法で描く 注目の新鋭による第2作』と謳われている本作。自分も故・伊藤計劃氏の作品はとても好きなのだけれど、本作を読んで感じた事は伊藤計劃的な何かでもなければJ・G・バラード的な何かでもなく、言葉にする事が難しい、複雑な感情だった。

 本作は短篇集であり、様々な国々を舞台にそれぞれ独立した物語が語られる。しかしその物語を貫くテーマは共通していると感じる。それは『戦場を描く』という事だ。
 紛争や戦争が続く国々。またテロの標的とされた都市。そしてこの日本の様に、一見それら全てから隔離された安全地帯の様でありながら、そこに暮らす者の人間性をすり減らして行くかの様な「平坦な戦場」としての日常。

 自分達は生きている。そして生きているという事は何かと戦っているという事でもある。
 確かにこの日本は国民の平和ボケが危惧される位には平和だ。特定の人種だからとか、特定の宗教の信者だからとか、そんな理由で銃を向けられたり、爆弾で吹き飛ばされる様な危険は少ない。長引く不況が貧困層を生み、貧富の差が拡大していると言われながらも、飢餓には程遠く、自分達はまだある程度の豊かさの中で生きる事が許されている。そんな日常の中で暮らす事を戦いだと言えば、寝言を言うなと言われるだろう。しかし自分達はそれでも何かと戦いながら日々を生きている。

 自分達の生きるこの場所と、戦場とを繋ぐもの。それはきっと「人は決して他者とわかり合う事ができない」という事実なのではないか。人種差別や宗教対立を例に出すまでもなく、自分達は常に異なる価値観に対する不理解と不寛容による対立の中で生きて来た。それは実際に血が流される戦場でも、この平和な国の中でも変わらない。自分達は皆、その冷徹な事実と戦っているのだろう。

 自分達は常に誤解され続け、また他者を誤解しながら生きているのかもしれない。本作に登場する『歌姫』と呼ばれる日本製の少女ロボット・DX9が、本来の歌唄いとしての役目から逸脱した用途で用いられ続けた様に、自分達の想いはいつも誤解され、曲解され、勝手に解釈され、都合よく引用され、正しく伝わる事が無いのかもしれない。自分達の想い。自分達の願い。発した言葉。書き残した意思。それらはいつも他者の手によって歪められてしまう。「そんなつもりじゃなかった」と言ってみても何にもならない。そんなつもりで言ったんじゃない。そんなつもりで作った訳じゃない。誰かを傷付けるつもりでやった訳じゃない。そんなつもりじゃなかった。そんなつもりじゃなかったんだ……そんな風に嘆いてみても、現実は変わらない。

 そんな世界で、そんな現実の中で、そんな平坦な戦場で、自分達に出来る事がもしあるとするなら、それは自分達が決してわかり合えない者同士なのだと自覚した上で、思い知った上で、それでもなお他者と、隣にいる誰かとわかり合おうとする事が出来るかどうかという事ではないだろうか。それを無駄だと諦めるのではなく、虚しい行いだと嘆くのでもなく、相手とわかり合おうとする事を捨てずにいられるかどうか。愚直に他者の存在を求められるかどうか。そうやってこれからも無様に生き続けられるかどうか。

 『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』

 それはきっと、人間同士が互いに「決してわかり合えない事」を知りつつも、互いの手を握ろうとする事ができるかどうかにかかっているのだろう。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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